「変わらざる国の正念場」

               『言志』編集長  水島 総

   知我者 (我を知る者は)
   謂我心憂 (我は心を憂うと謂い)
   不知我者 (我を知らざる者は)
   謂我何求 (我何をか求むと謂う)
   悠々蒼天 (悠々たる蒼天)
   此何人哉 (此れ何人〈なんびと〉ぞや)

   (詩経 王風「黍離」より一部抜粋)


この詩は、西周の都だった鎬京(こうけい)の荒廃を悲しんだ詩と
いわれているが、単に支那大陸に興亡した国々の栄枯盛衰を悲しん
でいるだけではない。
歴史の変転を超えて「変わらざるもの」つまり「悠々たる蒼天」を
歌って、その普遍的な芸術性を見事に表している。

私は、今や反中国の権化のように見られ、彼の国の危険なブラック
リスト上位にランクされているらしいが、ずっと昔から、漢詩が好
きだった。
そして、なぜ、日本の歴史や文学にとって、漢籍は必須のものだっ
たのだろうかと、いつも考えてきた。

明治の偉人や文人たちにとって、漢籍の素養は当たり前のものだっ
た。
ただ、わが国でつくられた漢文も漢詩も、文字通り、日本的に血肉
化され「日本文学」になっている事実がある。
この親近性と差異は何なのか、この分析にこれからの対中理解の鍵
があるような気がしていた。

今、日本は戦後初めてと言ってもよい、「正念場」を迎えている。
恐らく、これからの日本の在り方が決まっていく大事な時を迎えて
いる。

言い換えればわが国の「国体」が、真正面から問われているのだ。
安倍総理の主張する「戦後レジームの脱却」や「日本を取り戻す」
とは、結局、変え、変わるものと、「変わらざるもの」を峻別する
ことから始まる。

憲法も防衛問題も、結局、わが国の「国体」を真正面から問うこと
に行き着く。
ついにその時が訪れたと考えるべきなのだ。
冒頭の詩は、その時のヒントとなる必要な視点、あるいは世界観と
して掲げた。

漢詩には「国破れて山河あり」に代表されるような人生や王朝の生
生流転、無常を歌ったものが多い。
私たち日本人には、特にそういった類の漢詩が好まれてきた。

人生の無常を歌った詩では、人の命や営みと大自然が対比される場
合が多い。
ただ、人の世の栄枯盛衰と大自然を比しながらも、支那の詩人たち
は、大自然が変転しないなどと見ていたわけではない。
風が吹き、雨が降り、雲は行き、季節は絶えず巡り、大自然も刻々
その姿を変容させている。
しかし、大自然自体は決してなくなりはしない。
これをうたかたのごとくはかなく消えてゆく人の人生や王朝と対比
させたのだった。
だから、「浮世」であり「憂き世」なのである。

このような世界観は、「もののあはれ」といった日本的無常観に近
いものだ。
だからこそ、古代から明治に至るまで、漢籍や漢詩は、広く日本人
に受け入れられてきたのである。

では、支那と日本の世界観の差異はどこにあるのか。
つまり「変わらざるもの」は何かということだ。

支那の詩人たちにとって、「変わらざるもの」は、大自然という
「空間的実在」だけだった。

しかし、日本人にとっては、大自然だけではなかった。
皇室の存在である。
皇室という存在の本質は、空間的実在である大自然とはまったく次
元を異にする「時間的実在」だということだ。

建国以来2600年以上、皇室と皇統は、日本を家族のような国家にし
ようと、民草を大御宝(おおみたから)と見て、大自然(神々や祖
先)と人間を繋いで来た「時間的実在」だった。
世界中を探しても、恐らくこのような時間的実在の例はないだろう。


< 皇室という時間的実在 >


私たち日本人は、無意識の内に、私たちの周りの世界を、今ある空
間世界だけではなく、「時間的世界」でもあると視てきた。
初代神武天皇も第125代の今上陛下も、私たちは「天皇」という時間
的存在として、個々人としてではなく、同じ存在として受け止めて
きたのだ。

支那大陸には、支配者としての皇帝や王朝(中国共産党も含む)は
存在してきたが、これらは常に「変わるもの」であり、皇室=時間
的実在は、後にも先にも支那には存在しない「変わらざるもの」だ
った。

私は日本文化の伝統の中にある「万葉ぶり」に代表される明るさや
肯定性は、このような皇室という時間的実在を有する世界観から来
ていると考えている。
世の無常を嘆き、悲しみながら、西欧や支那のような徹底的な恐る
べき「絶望」がないのは、この「変わらざるもの」の存在が、わが
国史のなかを貫いていたからだ。

日本と支那のこの決定的差異は、現在の中国共産党政権の姿にも、
如実に表れている。

興味深いことは、支那の詩人たちのようなインテリではなく、一般
庶民の支那人たちとなると、様相は異なってくることだ。
つまり、どんな時代にあっても常に被支配層であった彼らにとって、
さまざまな政体や民族王朝の興亡は、まるで大自然における四季の
移り変わりや天候の変化のようなものであり、彼らにはどうにもで
きない、ただ、受け入れるしかない存在だった。

しかし、彼らには、さまざまな王朝が消え去っても、自分たち支那
人という種族の「かたまり」は、決して消えないのだというしぶと
い世界観があった。

なぜなら、彼ら自身が「大自然」そのものだったからだ。
例え、戦争や大虐殺が起きて多数の人々が死んでも、彼らは種族と
して支那人の誰かが生き続けることを身体で知っていた。
大自然が自分の変転を嘆いたり悲しまないように、彼らもまた、現
実のあらゆる変化変転を即自的に受け入れるのだ。

現在の支那大陸でも、繰り返し自然の大災害が起きているが、その
受け止め方、受け入れ方は、東日本大震災の被害を受けた日本人と
は明らかに異なっている。

支那人はアフリカの大草原でライオンたちに襲われたヌーの大群の
ごとく受け入れる。
瞬間的な悲しみはあっても、亡くなった人々が魂として共に「生き
ていく」とは考えない。
亡くなった人は「時間的存在」にはならずに過去と断絶する。

しかし、わが日本人は、無常の世の出来事が起きたとして、悲しみ、
涙の中で受け止めるが、亡くなった人々はこれからも先祖の魂とし
て共に生きていく時間的存在となる。
日本人には、埋葬された遺体を墓から引きずり出して打ち叩き、侮
辱するような習慣はない。
また、人間を虫けらのように殺す「大虐殺」がありえないのは、人
と人の命を死してなお生き続ける魂として感受する気持ちがあるか
らだ。

東日本大震災の時、天皇陛下の御言葉が直後に発せられ、
天皇皇后両陛下が足しげく被災地をご巡幸なさったのも、こういっ
た民と大自然をつなぎ、過去と現在をつなぐ「変わらざるもの」の
時間的実在としてのお姿を示されていたからである。

私たちは支那人(朝鮮人も含む)と日本人を、同じ人間だからなど
と乱暴に考えるべきではない。
いい悪いではなく、また、民族差別でも蔑視でもなく、事実として、
私たちの世界観、生き方、国柄そのものが根本的に異なる現実を見
すえるべきなのである。


< 支那人の野蛮な世界観 >


支那人の本質は、明らかに西欧近代主義的な「人間」ではなく、
「自然」そのものだ。
ここには、理想やイデオロギーや倫理は存在しない。
自然的な「本能」、すなわち、いかに安楽に、食って飲み、生殖し
子孫を増やすかを望んでいる自然存在なのである。

これはある意味で、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』の世界
であり、恐るべきニヒリズムであり、どんな無慈悲で残虐な事態を
も引き受ける「野蛮」なバーバリズムの世界観と生き方である。

かつて、毛沢東はその『人民戦争論』で、アメリカ帝国主義者が核
攻撃をするならしてみるがいい、4億の人民を核兵器で殺しても、
残った2億の人民で、アメリカ兵を人民戦争の海に引きずり込み、
殲滅させてやると豪語したことがあった。
こういった発想は、支那の人民を「人間」として見ないで、人の命
さえも変転する大自然の一部のごとく見なす世界観であり、毛沢東
個人の世界観というより、古来から続く支那人の世界観から来てい
るのだろう。

この言葉自体は、無論、毛沢東がはったりをかましただけの強がり
だったが、ふやけた西欧ヒューマニストの白人たちには、得体の知
れぬリアリティ、まさに「大自然」の脅威のごときものを感じさせ
る狡猾なプロパガンダにはなったのである。

パール・バックが清朝末期の支那を舞台に描いた『大地』(The
House of Earth)は、まさに題名通り、土地とともに一体化するよ
うに生きる支那人が主人公だが、作者が主人公を大自然と一体化し
た存在(民)として見ているのが興味深い。

私には、パール・バック同様、中国共産党に入れ込んでエージェン
トとなった『中国の赤い星』のエドガー・スノーやスメドレーなど
は、中国共産党と党員たちに対して「大自然」への畏敬の念にも似
た思いがあったような気がしてならない。
米国人の支那好きの傾向も、存外、興亡や変貌を繰り返しながら、
自称4000年の歴史を刻んできた支那に対して、まるで「大自然」で
も見るかのように、間違ったロマンや畏敬の念を抱いたのだろうと
思うのである。

周辺各民族が争い、建国と亡国を繰り返す支那の歴史は、米国の建
国の歴史とも共通性を持っている。
ネイティブアメリカン(インディアン)を開拓と称して大量虐殺し
て絶滅寸前まで追い込み、宗主国イギリスと戦い、建国を果たした
アメリカにとって、日本と「抗日戦争」を戦って(と自称し)建国
した中華人民共和国は、大東亜戦争を戦った日本などより、はるか
に親近性のある国だったのである。

この米国の「支那びいき」が今なお続いているのは、精神的に「親
近感」を抱ける国と民だとの意識があるからだ。

私たちは政治経済面だけでなく、こういった精神的背景も、対中国、
対米国の判断材料に加えて考えるべきである。
同時に、繰り返すが、良い悪いの問題ではなく、そういった支那人
という種族が支那大陸に生息しているという物すごい現実を私たち
は真正面から引き受けなければならないのである。

私は改めて西郷南洲翁の遺訓の次の一節を思い出さずにはいられない。


   命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、
   仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、
   艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

   (南洲翁遺訓 三十より)


支那人とは極北に位置するような南洲翁遺訓の言葉だが、だからこ
そ、今、「仕抹に困る」日本復活の予兆に、支那朝鮮、そして米国
も困惑し、怯え、畏れ始めているのである。
南洲翁は、「敬天愛人」の書を多く残している。


   悠々蒼天 (悠々たる蒼天)
   此何人哉 (此れ何人〈なんびと〉ぞや)


日本を取り戻す道は、かくのごとく時空の彼方に広がっているので
ある。 
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