「パナソニックのスマートテレビCM禁止に隠されたもの」
『言志』編集長 水島 総
「しっ、静かに…君のそばを葬列が通り過ぎていく」
言志を創刊する時、この電子雑誌によって戦後体制の終焉を告げ
るべく、気負った気持ちで、ロートレアモンの「マルドロールの
歌」の詩句を引用した。
現実はそんな文学的なものとはならなかったが、間違いなく、
巨大な「葬列」の潮流が生まれ始めた。
いや、潮流というより、「濁流」というべきか。
濁流を生み出した大きな実例が、自民党安倍晋三総裁の再起であ
り、それに続く安倍政権の誕生は、一種の「奇跡」だとか「神風」
とも言われた。
確かにその通りで、わずか3年3ヶ月という短期間に、民主党政権
は、戦後67年の間に進められてきた日本の国柄溶解をさらに完全
破壊しようとしていたから、安倍政権誕生は、国体破壊の危機を
食い止めた「神風」だったと言える。
注目すべきは、安倍政権は民主党政権誕生のようなマスメディア
主導ではなく、国民自身の手によって直接的に実現された点だ。
こういう本質的な変化の兆候と意義について、私たちはもっと評
価分析すべきだ。
安倍新政権は、ほんの第一歩であるが、戦後体制を葬るひとつの
潮流(濁流)を生み出したのである。
以前、中国共産党の対日工作活動文書として流布した「日本解放
第2期工作要綱」が、雑誌『WiLL』などに発表されたことがあった。
この文書については、中国共産党が完全に沈黙を守り、真偽につ
いてあれこれ議論もある。
しかし、偽書だとしても、非常によく練られた戦略文書である。
というのも、これまでの日中関係は、この文書通りに進んで来た
からで、民主党政権の成立も、そこに記された第1段階の「日中
国交回復」に次ぐ、第2段階の「民主連合政権」の樹立にほかなら
なかったからだ。
民主党政権の中心閣僚が、イタリア共産党のグラムシやトリアッ
チの唱えた構造改革革命論者で、政権中枢を占めていたのは偶然
ではない。
菅直人、仙石由人は構造改革派の学生運動家リーダーだったし、
枝野幸男、千葉景子、前原誠司などなど、ことごとく新左翼系団
体の元活動家やシンパだった。
彼らの言動をよく注視すれば、今なお新左翼革命思想を変えてい
ないことは明らかだ。
この構造改革革命論は、先進資本主義社会に対応する革命論で、
資本主義社会のあらゆる分野にコミュニストが入り込み、浸透し、
各分野のヘゲモニー(主導権)を掌握し、その結果、議会を通す
形で国家権力を奪取するという「平和革命論」である。
民主党政権は、その見事な実例であり、その本質は、「日本解体」
政権だった。
彼らは「日本解放第2期工作要綱」にのっとった政策をひそかに推
進していた。
少なくとも、現実的に民主党の政策立案と推進をした民主党事務
局を握る旧社会党左派の人々は、意識的に、その日本解体路線を
進めていた。
彼らがひそかに実現しようとした主要政治目標が2点あった。
皇室典範改悪によって女系天皇を容認し「皇統破壊」を行う国体
破壊と、「日米安保体制の破壊」や「外国人参政権」によって行
うラジカルな政体破壊である。
「国体破壊」と「政体破壊」が民主党政権の本質だったのであり、
そういう人々が、日本国家の中枢となり、国家機密を握り、国家
権力を振るったのである。
まことに戦慄すべき事態が、一時的とは言え、わが国に起きたの
だった。
元々、GHQによって形成、推進された戦後レジームは、ヒューマニ
ズムと国際平和主義という羊の皮をかぶる日本解体路線という本
質を持っていたが、それが顕現化したのが、民主党政権成立という
事態である。
戦後日本は行き着くところまで来てしまったのだ。
これを主導したのが、日本のマスメディアだった。約4年前、中国
共産党の対日工作の第2の戦略目標「民主連合政権」に連動する形
で、ほとんどのメディアによって「政権交代」が喧伝され、国民
に刷り込まれ、民主党政権は樹立された。
対日工作は見事成功したのだ。
マスメディアは4年前、まだその絶対的な権力と影響力を保持して
いたからだ。
「構造改革革命理論」による日本マスメディアへの浸透と内部ヘ
ゲモニーの確立によって、中国の対日工作は、見事に民主党政権
を実現させた。
だから、3代にわたる鳩山、菅、野田内閣のすべてが、対中国拝跪
内閣であったことは、決して偶然ではなく、必然だったのである。
しかし、実はこの「日本解放第2期工作要綱」には、致命的な誤算
があった。
この対日工作要綱が作成された当時には想像もされなかった事態
が起きていたからだ。
インターネットの世界的普及である。
改めて指摘しておくべき事実は、情報と情報通信手段を握り、そ
れを支配する者たちは、常に世界の支配者であったことだ。
それは絶対的ともいえるような必要条件である。軍事力ですら、
情報を前提としない限り、まったく無力なガラクタに過ぎない存
在と化すのである。
国際共産主義者たちや国際金融資本、国際石油メジャーなどの
「グローバリスト」たちは、すべて皆、これまで、テレビ、新聞、
出版などの情報手段を独占し、支配し、あらゆる情報の発信、受
信を一手に行ってきた。
開発途上国でクーデターが起きると、必ずテレビ局やラジオ局が
真っ先に占拠されるのはそのせいである。
しかし、今はその様相が異なってきている。
インターネット通信によって、世界中の誰もが、一部の制約はあ
るにせよ、情報を受信、発信できるようになったからだ。
軍事力でスーパー・パワーを持つ米国が、小国アフガンやイラク
で苦戦しているのは、「非対称性戦闘」と呼ばれるゲリラ戦が行
われているからだが、同様に、巨大な映像や文字の発信装置を有
するマスメディアも、インターネットによって、諸個人や諸団体
から、情報の受信発信の非対称性戦闘をしかけられたことによる
情報戦争に苦戦中なのである。
長い目で見れば、勝負はついている。情報の中央集権場所から、
情報を恣意的に選択し、下々の人々に分配するという情報配信方
式は、すでに終焉している。
情報手段がインターネットにとって代わられることによって、政
治や教育といった「情報」分野にも、影響が拡大しつつある。
特に、学生への教育情報「配信」サービス行為を扱う大学という
場所では、劇的な変化を及ぼすはずである。
学生はインターネットによって、それぞれが、時と場所、教師を
自由に選び、教育情報を選択することができるようになる。
旧態依然とした縦割りの互助組合的な教授会システムは、いずれ
一掃されるのである。
無論、今は「過渡期」である。依然として、グローバリストの支
配するマスメディアは巨大な影響力を保っている。
民主党政権は、マスメディアがつくり出し、安倍政権は、インタ
ーネットがつくり出したと言っても過言ではない。
しかし、この位相の異なるふたつの事態が、「過渡期」を象徴し
ているのだ。
民主党政権の3年3ヶ月、インターネットの伝達手段の普及は、パ
ソコンからスマートフォンへとさらに拡大進化した。
世界の人々は、それぞれがさまざまな「情報の武器」を手にし、
個人の力で情報の発信受信が可能になった。
すでに、情報の「非対称性戦闘」は世界中で開始されている。
それは、サイバー戦争という形をとったり、「ジャスミン革命」
という反政府民衆運動となったり、デマや謀略を意識的にばらま
き拡散する情報謀略戦争など、さまざまな形で展開し、拡大し続
けている。
私が従来より主張してきた「草莽崛起」国民運動は、反日マスメ
ディア解体を1つの主要目標に掲げているが、このインターネッ
トという武器があってこそ、展開できるものである。
< 旧メディアはネットを恐れている >
実は、遂に、その「草莽崛起」国民運動の影響力を本当に現実化、
巨大化させ、反日マスメディア、とりわけテレビメディアの死命
を制する「革命的な」情報兵器が登場したのだ。
7月7日の新聞各紙報道(インターネット版含む)によると、パナ
ソニックがスマートテレビ「スマートビエラ」を発売したが、
なんと、テレビ各局がこの新製品のCM放送を拒否しているという。
産経と朝日から報道記事を引用する。
「民放各局、パナソニック新型テレビのCM拒否
番組とネット同時表示『技術ルール違反』」
テレビの電源を入れると放送番組とインターネットのサイト
などが画面に一緒に表示されるのは、関係業界で定めた技術
ルールに違反するとして、民放各局がパナソニックの新型テ
レビのCM放映を拒否していることが6日、分かった。大手広
告主のCMを各局が流さないのは極めて異例。放送関係者らに
よると、問題のテレビは4月発売の「スマートビエラ」シリ
ーズ。テレビをつけると、放送中の番組の下と右にサイトや
ネット動画などが並び、リモコン操作で簡単にアクセスでき
るようにする機能がある。
しかし、家電メーカーや放送局でつくる電波産業会の運用規
定は、視聴者が番組とネット情報を混同しないような表示方
法を推奨。放送局が共同で策定したガイドラインは「テレビ
起動時、テレビ映像を画面全体に表示するのが望ましい」と
明記している。
(産経新聞)
民放側はパナソニックに対し、視聴者が放送番組とネット情
報を混同するおそれがあるとして、表示方法の変更を求めて
いる。放送局が提供するデータ放送に不具合が生じるケース
もあるとしており、パナソニックと協議を続けているという。
一方、パナソニックはいまのところ、番組とネット情報を明
確に区分しているとの立場だ。同社広報は、「スマートテレ
ビは新しいサービス。放送局側と協議して放送と通信の新た
なルール作りを進めているところなので、現時点ではコメン
トを控えたい」としている。
(朝日新聞)
記事を読んでいただければ、お分かりだと思うが、つまり、パナ
ソニックの「スマートビエラ」というテレビ受像機は、誰でも、
いつでも、簡単な操作で、インターネット動画画面などを見られ
るようになるという画期的な製品なのである。
パソコンやスマホに無縁のお年寄りでも、簡単にインターネット
サイトにアクセスできて、 例えばチャンネル桜のすべての動画
を、いつでも、見られることになる。
また、私たちチャンネル桜は、最近動画の生中継インターネット
放送を行っているが、この生中継もテレビで即座に見られるよう
になる。
この「いつでも」という点は、大変重要である。地上波テレビは、
番組表(タイムテーブル)というものがあり、その時間に、テレ
ビ受像機の前に座らなければ、番組を見ることができない。
しかし、インターネットサイトの放送は、「いつでも」見られて、
いずれは「どこでも」好きな番組を見られるのである。
この点だけ考えてみても、映像情報サービスの面で、地上波テレ
ビ放送は、インターネット放送に比べ、圧倒的に劣っており、勝
敗の帰趨はもはや時間の問題で、すでに勝負はついている。
地上波放送は、いずれほとんどの番組放送をインターネット放送
形式(オンデマンド方式)に変えざるをえない。
さらに、インターネット放送は、大規模な放送機器や電波塔を必
要とせず、一個人でも発信ができる。
それだけ放送内容に自由度が高い。
反日マスメディア放送局が、いくら反日放送番組を国民に刷り込
もうとしても、無理な時代が到来したのだ。
もちろん、番組コンテンツが玉石混淆になることは間違いない。
しかし、国民大衆は情報を自由に選択できるようになるのだ。
だからこそ、地上波テレビ局は、テレビ受像機の画面に、インタ
ーネットを並立表示させたくないのである。
自分たちの情報映像サービスが、インターネット放送に比べ圧倒
的に劣り、「致命傷」となることを知っているから、パナソニッ
クの「スマートビエラ」のCM放送を拒否したのである。
この事件は、そういう地上波テレビ放送の根幹にかかわるラジカ
ルな問題なのである。
根幹の問題と言えば、国民も国会議員たちも、そして地上波テレ
ビ局も、完全に忘れている事実がある。
元来、電波は、国家と国民のものだということだ。
NHKをはじめとして民放各局は、国民から電波を付託されて借り
ているだけである。
この本質的事実を国民は忘れてはならない。
国民のおかげで、電波ビジネスというおいしい商売をしてきた地
上波各社が、国民が情報を自由に得たり、選択することを妨げて
いる。
これが、パナソニックの「スマートビエラ」CM放送拒否の本質で
ある。
テレビメディアは、明らかに国民の知る権利、情報を選択する権
利を侵害している。
「スマートビエラ」CM放送禁止は、一種の談合による情報の不法
カルテルと言えるものであり、独占禁止法違反行為とも言え、自
由な情報サービスの競争を阻害するものだ。
こういう「規制」こそ撤廃されるべきなのだ。
実は、ビデオレコーダーが生まれたとき、テレビ放送の終焉は始
まっていた。
ビデオレコーダーは、一種のタイムマシーンであり、いつでも、
過去のテレビ番組の世界へ視聴者が往還できる機材である。
番組の時間表にのっとってしか放送できない地上波テレビ放送は、
サービスの点で、すでに敗北が確定したのだった。
思い出すのは、電機メーカー各社が、TVコマーシャルを飛ばす機
能を持つビデオレコーダーを発売した時のことだ。
その時は、民放各社がメーカーに圧力をかけ、製造中止に追い込
んだ。
しかし、圧倒的なメディア権力が横車を押せる時代はもう過ぎた。
インターネットが普及した現在、このような国民の情報選択を勝
手に規制したり、制限したりすることは許されない。
< 「祖先ともに」を現実感覚として生きる時代 >
アベノミクスの第3の矢は、不要な規制緩和を主張しているが、
このような情報の不法な談合や独占を禁止して、地上波各社が
実行しようとしている「情報機器の製造」規制をストップさせ、
自由な情報提供サービスの競争を実現しなければならない。
同時に、第2の矢の中心的政策、列島強靭化計画を考える時、
テレビ受像機に地上波テレビ放送とインターネット放送サイト
が並立していることは、国民の生命を守る安全対策としても重要
である。
大災害でテレビ局の放送設備が倒壊して放送不可能になっても、
テレビ受像機が動いておれば、インターネットの生中継の災害情
報などをいつでも受け取ることができるからである。
災害対策としても、災害情報手段の多様化、バックアップ効果と
しても、パナソニック「スマートビエラ」の機能は重要なので
ある。
国民の安全対策のためにも、この情報技術の新サービスを後退さ
せてはならない。
むしろ、補助し、推進すべきなのだ。
最後にひとつ指摘しておきたい。
ビデオレコーダーの製造から始まり、オンデマンド形式のインタ
ーネット動画配信に至った「映像」の在り方は、恐らく、これま
での近代主義的個人の意識をも変えるだろうという点である。
人間の意識革命を起こすということである。
前述したように、私たちは一種のタイムマシーンを獲得したので
ある。
現在生きている私たちはともかく、100年後、200年後の私たちの
子孫たちは、自分たちの祖先の顔や言葉を映像と音声で、身近に、
明確に知ることになる。
彼らは、今を生きているだけの私たちとはまったく異なる「時間
感覚」と意識を持つようになるだろう。
想像してみてほしい。織田信長や西郷隆盛、あるいは聖徳太子や
神武天皇のお姿を映像で見られるとしたら、あるいは数百年前、
千年前の祖先の顔と肉声を映像で見ることができるとしたら、私
たちの時間感覚は確実に変化する。
これまで、私たちは、保守的な立場の人間として、「私たちは祖
先とともにある」と言い続けて来たが、文字通り、それが現実感
覚となるのである。
恐らく、過去現在未来と続く時間軸が、人類の価値基準の中心と
なっていくだろう。
人類という言葉の受け取り方は、今を生きている人類だけではな
く、無数の過去の先祖も未来の子孫も、同じ人類として、現実感
覚として、とらえられるようになるだろう。
これは人類に大きな意識革命を起こすはずである。
そして、この時間感覚こそ、私たち日本人が2000年以上保持して
来た世界観であり、自然観なのである。
古モンゴロイドの世界観を基点に、時間軸を中心に形成されてき
た日本的自然観、世界観が、世界人類の標準になることも夢では
ない。
私たちは、そういう希望と絶望の過渡期に生きている。
喜ぶべきことだと受け止めたい。