「目で見るな、胸で見ろ」

               『言志』編集長  水島 総


表題の言葉は、白洲正子の著書『梅若実聞書』からの引用で、
名人と言われた能楽師である梅若実と梅若六郎の2人の言葉だ。

白洲正子は、4歳から梅若実、六郎両名人について能の修業を
始め、50歳で能の免許皆伝を受けて舞台にもしばしば立ってい
た。
しかし、免許皆伝を受けた直後、女に能楽はできないと悟り、
能修行を止めた。

白洲の能についての評論は、能の世界を超え、日本文化の本質
を突くような、示唆に富んだ多くの言葉が遺されている。


 装束は身体の上から着るのではなく、いつも身にツケル
 もので、(略)それも自分自身をお能の装束の中に入れ
 る、という感じをもつべきであると思います。

 (能)面は頭へかぶるものではありません。自分の顔を
 面に吸い付ける気持ちをお持ちなさい。

               (白洲正子『お能』より)


表題やこれらの言葉も、能という芸術の文化的本質をよく示し
ている。
文芸評論家で『三島由紀夫研究』編集委員の松本徹氏は、『お
能』の著書解説で、次のように指摘している。


 これは、言い換えれば、自分が、自分の演技力なりその
 他の工夫によって、内に抱いているなにものかを表現し
 ようとして、能を演じるのではなく、能なるものの中に
 入り込み、そのものに与り、そのものの現われとして演
 じるということであろう。能が中心であり、主体であっ
 て、自分がではないのである。自分は能を能たらしめる
 働きをするにすぎない。これは近代の芸術観とはまった
 く反対のものであろう。自分を棄て、自分を抜け出し、
 彼方に位置する能の世界と同化することが肝要なのであ
 る。


<石原氏は保守を「演じ」ている>


長々と引用したのは理由がある。

ひとつは、戦後の保守思想に潜在する近代主義的「いかがわしさ
」を示唆していると気づかされたこと、もうひとつは、チャンネ
ル桜の討論番組で、政治評論家の宇田川敬介さんから、中国共産
党が石原慎太郎氏をどのように分析しているか聞いたからだ。

宇田川氏によれば、中国共産党の情報組織「中国社会科学院日本
研究所」は、石原氏を「民族主義者を演じている民族主義者」と
いう分析をしているらしい。

私はこれを聞いたとき、真偽のほどはともかく、中国共産党の鋭
い分析力に驚いた。
並みの政治評論家や文芸評論家では、とてもこういう分析はでき
まいと思った。

敵は予想以上に手ごわい。
これを痛感しながら、私は三島由紀夫と石原氏の対談を思い出し
た。


 三島 石原さん、今日は「守るべきものの価値」について
    話をするわけだけど、あなたは何を守ってる?

 石原 …ぼくは、やはり自分で守るべきものは、あるひは
    社会が守らなければならないのは自由だと思ひます
    ね(略)。

 三島 そのために死ねるものといふのが、守るべき最終的
    な価値になるわけだ。

 石原 何のために死ねるかといへば、それは結局自分のた
    めです。

 三島 最終的に守るものは何だらうといふと、三種の神器
    しかなくなっちゃうんだ。

 石原 三種の神器って何ですか。

 三島 絶対、自己放棄に達しない思想といふのは卑しい思
    想だ。

 石原 身を守るということが? ぼくは違ふと思ふ。

 三島 だけど君、人間が実際、決死の行動をするには、自
    分が一番大事にしてゐるものを投げ捨てるというこ
    とでなきゃ、決死の行動はできないよ。君の行動原
    理からは決して行動は出てこないよ。

      (『月刊ペン』昭和44年11月号
              「守るべきものの価値」より)


この対談で、三島氏は石原氏に、「君はずいぶん西洋的なんだな」
と述べ、私心を棄てられぬ思想は「卑しい思想」だと、ばっさり
斬って捨てている。
思想というものが、最終的にどういう姿であるべきか、あるいは
私たち日本人にとって、「日本」をどうとらえるべきかが語られ、
今もなお、極めて今日的な価値を有している。

まして、石原氏はいったんは国政に絶望したとして国会議員を辞
任しながら、再び、国政を目指そうとしている状況がある。
彼の行為を通して、この戦後保守思想のあり方を考えてみる上で
も、ちょうどいい時期だと思われるし、思想と行動について、陽
明学の本質が、三島氏の言葉に見事に浮き彫りにされているよう
に思われるからだ。

石原氏は対談で「三種の神器って何ですか」と聞いているが、も
ちろん彼は三種の神器が「日本精神」の象徴であり、神鏡が「ま
こと(誠)」、勾玉が「慈愛」、神剣が「勇気」を象徴している
ことを知っていたはずである。
しかし、石原氏にとって、これらの知識は、自分が選択すべき思
想やイデオロギーのひとつに過ぎない。

「能」修業の本質が、自分(近代主義的自我)を捨て去り、能そ
のものになり切ることと同様、三島由紀夫氏が主張し、命を懸け
て実行したように、個人主義的自我を捨て去り、日本または日本
精神になり切ることが、石原氏にはどうしてもできない。
そういう発想がないからだ。
彼にできることは、個人(の自由)を残したまま、民族主義を選
び、保守主義を選択し、それらを「演ずる」に過ぎないのだ。

例えて言えば散華した特攻隊員たちは「私」という近代的自我を
捨て、「日本」または「日本精神」そのものになり切って出撃し
た。
しかし、石原氏の発想では、漫画家小林よしのり氏が特攻につい
て述べた「特攻は究極のやせ我慢だ」という「卑しい思想」から
出られないのである。 

芝居の「役」のような「付け焼刃」の行動思想だと、時代や状況
によって、いくらでも物言いは変わる。
彼の皇室天皇論や政治的姿勢が変わるのは、彼が不誠実でいい加
減だからではない。
西欧近代劇を演ずる役者のごとく、民族主義のさまざまな役や脚
本を「演じている」だけだからだ。

彼は日本の「能役者」には絶対になれない。
せいぜい、西欧近代劇の俳優とならざるをえない。
つまり、彼は一流政治家や民族主義政治家を演ずることはできて
も、政治家として私利私欲を捨てて「日本」そのものになり切る
ことはできないのである。

明治維新の立役者だった西郷南洲や大久保利通、伊藤博文などは、
大物政治家を「演じた」わけではなかった。
それぞれ考えは違ったが、「私」を棄て去り、「日本」そのもの
になっていたのだ。

明治人として、西欧近代と血みどろの文学的格闘を行った夏目漱
石は、晩年「則天去私」の心境に達したと言われている。
明治の文豪漱石がたどり着いたのは、明治の精神、明治の「日本」
になり切ることだった。
漱石はそれによって、西欧近代文明の呪縛から解き放されたかも
しれないのである。


<自我を棄てて「日本」になり切れ>


石原氏と三島氏の差異は、私が本誌上でずっと語ってきた「戦後
保守」と「日本を主語とする保守」とのあり方の根本的な差異で
もある。
約40年前のこの対談は、それを明瞭に示している。

両者の差異の本質は、「天皇」を包摂できない西欧近代保守主義
者(石原)と「天皇」を中心に据える日本保守(三島)との差異
であり、必然的な別離をも示している。

同時に、それは民族主義者を演じる西欧保守主義者石原氏と、戦
後レジームの脱却=日本を取り戻すと主張する安倍晋三氏との本
質的な差異でもある。
戦後67年、西欧近代保守主義と日本保守思想の分岐が、いよいよ
開始されたのだと、私は考えている。

もし、石原氏が本当に私心と私利私欲を捨て、国のために身を捧
げようと思っているなら、それを証明する行動がある。

石原氏は、日本維新の会代表就任時に、結党の大きな目的を「自
公の過半数阻止」だと宣言した。
ならば、石原氏は息子伸晃、宏高氏の選挙区に自身が立候補すべ
きである。
日本国のために、憂国の鬼と化さねばならないはずである。

しかし、彼には絶対にできない。
愛国政治家を「演じている」だけだからだ。
尖閣諸島の購入問題で、私が気づいたことはこのことだった。

悲しく残念なことだが、私たちの眼前には、日本そのものになり
切れず、日本のために自己放棄できなかった老政治家が、無残な
姿で「愛国」「憂国」の「暴走老人」を演じている。
これは世代的なことでもあるのか、読売新聞主筆の渡邉恒雄氏や
大勲位中曽根康弘氏に、私は同じ老残の姿を見つけるのである。

彼らがこれまで、そして今も続けているのは、安倍氏のグループ
を排除した形の「大連立」構想だ。
その本質は、「第二の戦後体制」の構築であり、半永久的な米国
の保護国化である。

思想の違いだけでは済まない、日本の未来を賭けた「超限戦争」
が、安倍晋三氏と石原慎太郎、橋下徹氏との間で、開始されてい
るのである。

陽明学の本質が能楽修行の教えの中にあったと気づいたのは、私
にとって新たな発見だった。
能の修業について引用した文章の「能」という言葉を「日本」と
いう言葉、あるいは、「日本文化」、あるいは「日本(保守)思
想」と置き換えてみていただきたい。


 日本(装束)は身体の上から着るのではなく、いつも身に
 ツケルもので、(略)それも自分自身を日本(能の装束)
 の中に入れる、という感じをもつべきであると思います。

 日本(能面)は頭へかぶるものではありません。自分(の
 顔)を日本(能面)に吸い付ける気持ちをお持ちなさい。

 日本を(目で見るな、胸で見ろ)。


能楽の創始者であり、能を完成させた観阿弥、世阿弥は、禅仏教
の影響を強く受けているが、禅の修行も同じだ。
禅は禅の教えを自分の頭で受け取り、考え、咀嚼し、実践(演じ
る)するのではない。
むしろ、自分(個人的自我)を放棄し、禅そのものに自分の心身
全てを投げ出し、禅そのものになり切ることを本質としている。

道元禅師の言葉、「心身脱落」は、それを指している。
特攻英霊や三島氏は、自我を棄て「日本」になり切ったのである。

この私を棄て、「日本」そのものになり切るという現実的存在は、
2600年前からあった。
125代にわたって続いて来た天皇陛下の御存在である。

東日本大震災で、私たち日本国民は、天皇皇后両陛下の御姿に、
「日本」が今なおあり、そしてこれからも、厳然としてあり続け
ることを、改めて知った。

私心(西欧個人主義的自我)を保ち続けながら、この強固な戦後
日本体制を転換することはできない。
日本そのものになり切らず、愛国政治家を「演ずる」だけの政治
は、第二の戦後体制の構築を促進するだけだ。

イデオロギーは異なるが、我執妄執で極左政治家を「演じ続けた」
菅直人氏と、戦後保守政治家としては「一流」だった石原氏とは、
大変失礼な言い方になるが、私には本質的には同じように思える。

幸いにも、安倍晋三氏には「演ずる」という意識はない。
自分自身がいる場所が「日本」であり、自分自身が「日本」であ
るとの自覚で動いている。

悲しいことだが、この「蟻の一穴」のごとき細き道を、私たち自
身も「日本」として、歩みを進めながら、大道へと変えていくし
かないのである。
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