【巻頭エッセイ】
「創刊300号を迎えて」
日本文化チャンネル桜代表 水島 総
これまでの皆様の御支援御鞭撻を心より御礼申し上げます。
先月十九日に尖閣諸島魚釣島に上陸して来ましたが、その時の模様を
国民新聞に寄稿した文章を引用して、報告申し上げます。
今、戦後日本が、断末魔の悲鳴を上げ、のた打ち回っています。
前進も後退も出来ず、脱却も出来ず、ただ「戦後日本」という場所で
虚しい自己回転を続けています。
これはかなり本質的で深刻な問題ですが、より深刻なのは、悲鳴を
上げてのた打つ自分の姿に、当の「戦後日本」が気づいていないこと
なのです。
私は電子言論マガジン『言志』第二号の中で指摘しましたが、
ドイツの実存哲学者マルティン・ハイデガーは、その論文「乏しき
時代の詩人」の中で、次のように述べています。
「乏しき時代とは、乏しいという欠乏さえ、分からなくなるという
暗黒へと追いやってしまう不能、それこそがまさに時代の乏しさ
なのである。」
私たちはそのような闇夜の時代を生き抜こうとしています。
しかし、日本には、闇夜を照らす満月のように、
天皇陛下と皇室の御存在があります。
厳しく淋しい時代ではありますが、日本には常に希望がありました。
しかし、それを飲みつくすような絶望的状況も進行しています。
この祖国の惨状を私たちは見過ごしてはなりません。
先祖と子孫に堂々と胸を張れるような日本にしていきましょう。
共に歩まん事を!
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「尖閣諸島上陸で見た戦後日本の惨状」
八月十九日、午前三時十分、私の乗船した漁船第一桜丸は、
尖閣諸島魚釣島の灯台の見える場所に到着した。
石垣島の新川漁港を出港して約六時間、稀に見る穏やかな海と
美しい星空の航海だった。
「尖閣諸島集団漁業活動」は、石垣、宮古、与那国島の漁師たちの
漁船二十一隻に、総計百五十名が乗船して実行された。
主催は、超党派国会議員の「領土を守るため行動する国会議員連盟」
(領土議連/会長・山谷えり子参院議員)と地方議連、そして私たち
国民運動組織「頑張れ日本!全国行動委員会」の三者である。
日本の実効支配を証する漁業活動だけでは無く、今回は尖閣諸島で
戦時遭難死された約百名あまりの人々の洋上慰霊祭が主な目的だった。
しかし、出航前の八月十五日、香港の「保釣行動委員会」の反日
活動家が海上保安庁の警備を突破し、尖閣諸島魚釣島に上陸し、
逮捕されていた。
そして、「強制送還」の名で、十七日には無条件で釈放されていた。
腰抜け民主党政府の対応は、私の心の中に、秘かなもう一つの
目的を生み出した。
夜明け前、黒々と闇夜に浮かび上がる魚釣島の島影は、
無言で何かを伝えていた。
私は自分の「役目」を感じた。
島と海が伝える沈黙のメッセージを私は「任務」として、実行した。
朝七時半、神道の儀式に則して行われた慰霊祭が終了した後、
船上の人々に、私は「今から、上陸します」と伝えた。
甲板にあったもやい用のロープを身体に着け、「じゃあ、よろしく」
と、そのまま海に飛び込んだ。
途中、ロープの重さを感じながらも、何とか約二十五メートルの海を
泳ぎ切り、灯台付近の海岸の岩にたどり着いた。
チャンネル桜のカメラマン北村、女性キャスターの浅野が海に
飛び込み、ロープを伝ってこちらに向かい、続いて、小坂東京都荒川
区議が続き、結局、私を含め、総計十名(地方議員五名)が魚釣島に
上陸した。
上陸後、私たちは灯台の鉄塔や岩壁等、数箇所に国旗日の丸を掲げた。
それが終わると、全員で尖閣慰霊碑の前に立ち、ささやかな慰霊祭を
行った。
船上慰霊祭が神道に則った儀式だったので、私は般若心経と消災呪を
読経し、略回向を行った。
もう、四十年以上、遺族も含め、誰もこの島を訪れて慰霊祭を出来
ないまま今日まで来た。
国(政府)が「尖閣諸島を平穏かつ安定的に維持・管理するため」と
いう言い訳で、誰も上陸させなかったからだ。
灯台下に建てられた白い慰霊碑は、大きなひびが数箇所にわたって
見受けられ、このままでは近い将来、崩壊する可能性があると思わ
れた。
今回の上陸の意義は、尖閣諸島戦時遭難者の慰霊を現地で行うことと
同時に、政治的には、中国政府が香港活動家を使って行った尖閣諸島
上陸に対し、日本政府が腰抜けでも、日本国民は違う、日本国民は
侵略を許さないという断固たる決意を表明したことであった。
しかし、もうひとつ指摘すべき点がある。
数十年ぶりに、私たちチャンネル桜が、尖閣諸島魚釣島の現地調査と
撮影を行ったことだ。
マスメディアは、私たちの上陸行為だけを取り上げ、あれこれ騒ぐ
だけだった。
しかし、私たちの上陸と撮影は、政府の全くの無為無策が、
何もしないどころか、魚釣島の自然破壊と環境破壊を行っていると
いう「犯罪」を暴露したのである。
何もしないことは、現状維持を意味しない。
無為無策は「平穏かつ安定的な維持・管理」をしていたことには
ならない。
その証拠が、魚釣島の見るに耐えない自然破壊の惨状である。
魚釣島の自然は、既に瀕死の状態と言っても過言ではない。
まず、支那大陸から吹き寄せられた膨大な漂着ゴミだ。
沖からは、魚釣島の海岸線を一周する形で白いラインとして見えて
いたが、上陸してみて、その膨大な量に驚かされた。
それらは、石垣跡のある旧住宅地まで吹き寄せられており、流木や
プラスティック製品、ペットボトル等、得体の知れないものが、
足の踏み場も無いほど散乱、堆積している。
ペットボトルは上海製など、ほとんどが中国製品だ。
もう一つは、千頭に増えたと言われる山羊による環境破壊である。
あちこちで大量の糞が見つかったが、この山羊の糞は、雨や波に溶け
て海中に流れ込み、アンモニアやメタンの成分は、尖閣の海洋を汚染
し続けている。
また、山羊たちは、魚釣島の緑の植物を食い尽くす勢いだ。
既に、私は十回尖閣を訪れているが、来るたびに魚釣島の緑が減って
いるのを感じている。
間違いなく、山羊たちが島の草木を食べ続けることで、島全体の自然
破壊が起きている。
魚釣島の大部分の樹木はクバの木だが、目に入るクバの木々の下部分
が、枯れたように茶色に変色していた。
山羊の餌になり始めているらしい。
更に、終戦直後までしっかり残っていた石垣や住居跡の原型を留めぬ
崩壊も、台風や厳しい風雨だけではなく、山羊が石垣周辺や石の間の
草を食べ尽くしたことで、崩壊を早めたという説もある。
何もしないことは、現状維持を意味しない。
環境破壊の進行の現実を直視せず、無為無策でいることは、事態の
悪化に自ら手を貸している犯罪行為と言っても過言ではない。
日本国民に対する上陸拒否という政府の姿勢も、全く同様のものだ。
中国はこの十年間大いに変貌し、覇権主義国家となり、対日姿勢も
変化した。
その厳しい現実と危機の進行を直視せず、「駝鳥の平和」を続けて
いるのが、現在の野田民主党政府である。
無為無策を続けることは、中国の侵略行動のエスカレートを促し、
安定的平穏な状況を自ら破壊しているのである。
惨憺たる魚釣島の自然破壊、環境破壊行為の「犯罪現場」に立ちな
がら、気づいたことがある。
この魚釣島の漂着ゴミの散乱した様は、まさに戦後日本の行き着い
た混乱の様子なのだということである。
映画「猿の惑星」の主人公が、ラストシーンで、破壊された自由の
女神像を見つけたように、尖閣諸島魚釣島の海岸で、私は敗戦より
六十七年たった戦後日本社会の凄まじい惨状を発見したのだった。
(国民新聞 寄稿記事より)