【巻頭エッセイ】

「尖閣諸島遠征記(一)」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

八月一日発売の雑誌『正論』九月号に「日の丸船団尖閣諸島に出動す!」と
題した尖閣諸島遠征レポートが掲載される。
紙数に限りがあり、削らざるを得なかった部分を中心に、何回かに分けて、
尖閣遠征レポートをお届けする。

産経新聞社『別冊正論』の上島編集長のブログにも、この尖閣遠征の説明と
画像があるので、チャンネル桜の映像と共にご覧いただければと思う。

「『正論』編集部の彷徨記」
http://seiron.iza.ne.jp/blog/entry/2372162/

1/3【緊急特番】守るぞ日本 守るぞ尖閣・第一桜丸出港準備[桜H23/7/9]
http://www.nicovideo.jp/watch/1310208768
http://www.youtube.com/watch?v=p3xajoObOpE

2/3【緊急特番】守るぞ日本 守るぞ尖閣・日の丸漁船団操業[桜H23/7/9]
http://www.nicovideo.jp/watch/1310209084
http://www.youtube.com/watch?v=E5OzLuKQGio

3/3【緊急特番】守るぞ日本 守るぞ尖閣・中山市長インタビュー[桜H23/7/9]
http://www.nicovideo.jp/watch/1310209292
http://www.youtube.com/watch?v=VFPvEpikqrU


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一、 沈黙で呼びかける国境の島

七月三日の夜明け、漁船十隻に日の丸を掲げ、
私たち「頑張れ日本!全国行動委員会」所有の漁船「第一桜丸」は、
石垣の漁師さんたち約三十人と共に尖閣諸島に向かった。
先頭を進む第一桜丸は、チャンネル桜視聴者から贈られた大漁旗と
日の丸を船高く掲げ、他の漁船も全て日の丸を掲げ、
尖閣諸島周辺海域で漁業活動を行った。
尖閣諸島が単に日本主権の領土領海というだけでなく、日本漁師の
生活の場としてもあることを実証し、尖閣諸島の実効支配を世界中に
アピールしようとしたのである。

今、尖閣諸島は我が国固有の領土でありながら、
政府から立ち入りも上陸も許されない。
それどころか、中国を恐れて臆病風に吹かれた政府は、
尖閣防衛の具体的行動を全く起こそうとしていない。
政府が国防の義務を果たさないなら、
私たち日本国民自らが、自らの手で、国防の義務を果たすしかない。
そういった決意で行われたのが、今回の行動である。 

結果として、案の定、私たちの「草莽崛起」は、
中国外務省の即座で過敏な反応を引き起こした。
曰く、洪報道局長は
「釣魚島近辺での日本のあらゆる行動は違法かつ無効だ」と強調し、
直ちに漁船を撤退させるよう日本側に要求し抗議したと発表したのである。
しかし、「撤退させるよう要求」したということは、現在、尖閣諸島周辺が
日本の実効支配下にあることを公式的に認めたことである。
藪蛇とはこういうことなのだろう。

中国のこのような反応を引き出し、日本の実効支配の現実を
中国と世界に認めさせることが、私たちの目的の一つだった。
このことだけとっても、私たちは大きな成果を挙げ、
悪辣な侵略者たちに手痛い打撃を与えたのである。
草莽の国民でも、日本国防衛の一翼を現実に担えることも実証出来た。

日の丸漁船団が尖閣諸島周辺で正々堂々の漁業活動を行った映像は、
間もなく、英語、中国語、ロシア語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、
朝鮮語等の世界各国語のナレーションを入れ、
尖閣日本実効支配映像として、世界中に配信されることになる。

これによって、仮に、中国が尖閣諸島に侵略してきたとしても、
領土領海への侵犯、侵略だけでなく、
日本の漁師たちの平和な「生活の場」を奪う不当な侵略行為として
世界中にアピール出来るだろうと考えた。

また、日本の実効支配アピール映像が、中国の侵略行為を
僅かでもためらわせる一助になるかとも考えた。
無論、中国共産党はそんなナイーブな連中ではない。
しかし、彼等は「超限戦(情報戦)」を重視する集団であり、
同時に、民意を恐れる集団でもある。
その意味で、一定の効果を持つだろうと考えた。

多くの困難や障害があった。
海上保安庁や公安関係から、過剰とも言える警告や
「配慮」「圧力」もあった。
しかし、私たちは石垣島の漁師の皆さんと協力し、何ら臆することも
隠すことも無く、日本国民としての誇りを持って困難を乗り越えた。

尖閣諸島に対する国民の側からの実効支配「実証行為」には、
長い歴史がある。

1978年、民族派団体日本青年社が尖閣諸島魚釣島に灯台を建設し、
97年には国会議員として初めて西村眞悟議員が魚釣島に上陸し、
調査を行った。
以来、様々な人々が尖閣諸島に出掛け、強行上陸を試みてきた。

また、尖閣諸島の行政所管自治体である石垣市は、以前より
税務、環境等の調査の為、上陸許可を求め続けてきた。
しかし、今なお政府はそれを認めていない。
最近では、中国の抗議を恐れて、尖閣上陸に関して、
特に監視と阻止行動を強めている。

この尖閣接近と上陸の為には、当然、船が必要である。

しかし、海上保安庁の強い「指導」によって、これまで
尖閣への接近を決意出来る漁船と漁師は限られていた。
尖閣上陸を手伝う漁船は数ヶ月間の営業停止命令を受け、
もし、尖閣行きを漁師さんに頼むなら、
生活保障として数百万円が必要だと私たちは聞かされていた。
勿論、私たちにそんな金は無かった。

それに、日本国民が尖閣に上陸し、長期滞在か定住し、生活することは
実効支配として大事だと考えていたが、今現在において、
単なるパフォーマンスとして短時間尖閣に上陸することは、
世界に日本の実効支配をアピールする手段として、
それほど効果的だとは思えなかった。

全ては、私たち「頑張れ日本!全国行動委員会」が
自らの力で漁船を所有しようと決意したことから始まった。
四月初頭、私たちは常任幹事会で、私たち自身で漁船を購入、所有し、
それを使った行動を起こそうと決めた。
まず日本国民が尖閣諸島へ合法的かつ自由に行ける「足」が
どうしても必要だと考えたからだ。

同時に、草の根国民でも尖閣を守る国防の義務を果たす
「草莽崛起」が出来ることを、多くの戦後日本国民に明らかにしたかった。

私たちはチャンネル桜やインターネット動画配信を通じて、
漁船購入の為の支援金を草の根国民に呼びかけた。
反応は驚くほど早かった。
この呼びかけに、本当に多くの草の根国民が応じてくれ、
続々と資金が集まり始めた。

恐らく、私たち「頑張れ日本!全国行動委員会」が、尖閣沖中国船衝突
事件等において、全国一斉の「中国大使館包囲デモ」等の抗議行動を
誰よりも早く、何処よりも大規模に展開したからだろう。
慌てた中国政府が各地で官製反日デモを行わせたことも
記憶にあったのだと思われる。

資金集めの一方で、私たちは購入する船を
様々なルートを使って探し始めた。
沖縄方面の漁師さんや海上保安庁OB等、船に詳しい人々から
アドバイスを受けて探し回った。
これぞという船がピックアップされると、船の専門家の知人らに頼み、
実際に現地に行ってもらい、エンジンを中心に調べてもらった。

しかし、値段と性能、大きさ等、これぞという船は中々見つからなかった。
中には、私たちが船の素人と知っていて、
不当な値段で売りつけようとする「商売人」もいた。
他人様のお金を預かり、漁船を購入する以上、
慎重の上に慎重にならざるを得なかった。

そんな中、五月となり、船に詳しい知人がインターネットで見つけたのが、
現在の「第一桜丸(後の命名)」だった。
大きさといい、スピード(最高スピード三十ノット)といい、
これだと思わせる船だった。

この船は九州の天草の「天草マリーナ」が販売していた。
早速、専門家の知人に販売先の天草に飛んでもらい、
実際に船を動かし、走らせて、エンジン性能や内装等を確かめてもらった。
一千数百万の値段が提示されていたが、非常に良い船との報告だった。

私たちは交渉で何とかまけさせようとしたが、
相手側は頑として譲らなかった。
しかし、このことが購入を決意するきっかけとなった。
相手側がこの船の性能と値段に絶対の自信を持っており、いつでも
誰にでも売れるという自負があることをよく理解できたからである。

私は即決で購入を決め、相手側にそれを通告した。
支援金もその時点で、一千七百万円ほど寄付が寄せられていた。

尖閣付近で漁業活動するためには、船のカーナビとも言える
GPS装置や衛星電話の取り付け、船の塗装等の一部修理、
新しい船の名前「第一桜丸」を船腹に記す必要もあった。
別途予算でそれも発注し、また、天草から沖縄経由で石垣漁港まで
運搬航行が出来るよう書類手続きも行った。
他にも現地で色々チェックすべきことがあり、時間と費用がかかったが、
五月末、ついに第一桜丸の装備が完了し、
石垣への移動運搬が可能になったとの報せが届いた。


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二、 第一桜丸、海へ!

しかし、物事は何でもそうなのだが、とんとん拍子には進まなかった。
第一桜丸には試練の時が待ち受けていた。

五月三十日、第一桜丸の初代船長を引き受けてくれた石垣の漁師
砂川さん他二名が、飛行機で九州に飛び、
船を石垣に引き取りに出かけた。
無事に船の受け渡しを終えたが、どこから情報を得たのか、
さすがと褒めるべきか、海上保安庁の職員が現れ、
何処に向かうのか、どういう目的の船なのか等を質問してきた。
どうやら、そのまま尖閣諸島へ向かうのではないかと心配したらしい。

初の「尋問」を経験した後、第一桜丸は初航海の海に乗り出した。
熊本県天草市にある港から天草灘に出て一路南下し、奄美大島に
向かい、沖縄を経由して、そして石垣港に六月四日に着く予定だった。

しかし、丁度、大型の台風五号が日本列島に接近し、
直撃する状態になりつつあった。
海は大時化状態となり、高波のため、第一桜丸は奄美大島に着く前に、
近くの黒島に一時寄港した。
しかし、台風の北上から、黒島港の岸壁では台風の波にさらわれる
危険性があり、黒島の漁船も全て鹿児島に避難することとなったのである。

六月三日早朝、高波の中、黒島の漁船と共に、
第一桜丸は鹿児島県串木野市の港に一時避難した。
ここに係留して、台風の影響が去るまで待つこととなったのである。

前途多難を暗示する前触れかとも思ったが、砂川さんからの連絡によると、
第一桜丸は非常に揺れにも強いとのことで、
良いトレーニングが出来たと解釈することにした。
ふと、第一桜丸にはまだ神棚が無いことも思い出した。

六月四日、朝、第一桜丸は串木野港を出発し、沖縄の泊港に向かった。
ここでも、海上保安庁のヘリコプターが上空を一緒に「随行」してくれ、
ヘリが去った後は、巡視船がしっかり「保護?」しながら帯同してくれた。
この監視と警戒ぶりはおかしかったが、それだけ、海保の情報網が
しっかりしているのだと、これも良い方に解釈することにした。 

六月四日夕方、第一桜丸は沖縄県那覇市に在る泊港に到着。
翌々日の海上保安庁沖縄管区の船舶検査を待つこととなった。

六月六日、私たちもその検査に立ち会うことにしたが、
私はその前に那覇の海上保安庁沖縄管区本部を訪ねた。
応対したのは総務課長で、私たちは合法的な漁業活動をするのであり、
上陸するのではないからと、妨害せぬよう申し入れた。
その決意を書いた『正論』七月号の「南京製作日誌」を
本部長以下、読むよう渡した。

十二時半、那覇泊港に係留中の第一桜丸を見に出掛けた。
改めて美しい船だと思った。
内部も中々綺麗だ。

十三時、海保職員の船舶検査が始まり、その様子を見ていると
結構細かく丁寧にチェックをしているのに、少々感銘を受ける。
三十分ほどで終了。
海保職員の話だと、ピッチが少し低いかなあとの指摘。
こんな事を理由に許可が下りないと困るが、書類手続きを頼んだ玉城氏は
大丈夫だろうと言い、翌日、無事に船舶検査の合格が知らされた。

夕方、那覇空港から私は石垣島へ移動し、その晩、石垣市長中山氏と
八重山漁協組合長の上原氏とビールを飲みながら三者会談を行った。
三者とも、合法活動で、正々堂々の漁業活動をすることで一致し、
この計画の実行が最終的に合意された。
とにかく、石垣漁民の尖閣周辺海域での集団操業の実現を第一目的に、
残念だが撮影部隊は出来るだけ少数に絞ることにして、
漁師さん達に撮影をお願いすることにする。

会談終了後、第一桜丸船長となった砂川さんに会いに行く。
砂川さんたちは、直前にあった石垣最大の祭り
「海神祭」の打ち上げ宴会の真っ最中。
皆さんに挨拶し、立て続けに一気飲み。
これが「海人(うみんちゅ)」の決まりなんだそうだ。
酒が強くて良かったと思う。

翌日東京に戻って、安倍晋三事務所を訪ね、
安倍元総理に尖閣漁業活動の報告と国会議員参加等の話をする。
尖閣諸島観光遊漁ツアーの計画も伝える。

帰京したその日から、石垣島から嫌な報告が入り始める。
海保の職員や公安関係者が、私たちの行動を「心配して」、
色々、調べたり、砂川船長にも事情聴取に来ているらしい。
海保の「心配」は理解出来るが、これは合法的な正義の行動であり、
漁師たちを「脅迫」して尖閣行きを止めさせるような事は絶対許されない。

六月十四日、私は「領土問題議員連盟」会長の山谷えり子さんを訪ね、
翌日の参院内閣委員会で尖閣へ行く石垣漁師に対する
海保の「圧力」について質問して貰うことにした。
翌日の国会質問で山谷さんは、きちんと海保長官に質問してくれ、
そういうことはしないとの言葉を引き出してくれた。

六月二十日、再び、石垣に飛んだ。
元々、十七日に出航予定だったが、尖閣周辺は波が高く、
とても出られないという。
フィリピン付近で熱帯低気圧が台風に変わったという。

まず、港へ行き、陸揚げされて工事修理中の第一桜丸を見る。
個室トイレが出来上がっている。
また、潜水漁用にピッチの横の部分を切り開け、
漁師が海から船に上がる出入り口も作った。
今回の尖閣行きには間に合わないが、暑そうなので
後部に日よけテントを張れるように注文する。

午後、漁協組合長と懇談。
少々、弱気になっているようだ。
海保は私が第一桜丸に乗ることに強硬に難色を示しているらしい。
もし、船の持ち主代表が乗れないとしたら、
行政訴訟を起こしても絶対許さないと、組合長を励まし、
大丈夫ですからねと告げたが、まだ不安そうだ。

尖閣への出航時期については、波の状態次第であり、
組合長や漁師さんたちの判断に任せることに決める。

その後、市庁舎に中山市長を訪ねて懇談。
今回の尖閣行き延期と石垣の海保幹部に会うこと、
尖閣遊漁ツアー等について相談。
中山市長は、若いが慎重でかつ気概のあるところが良い。
尖閣レポーター役で来てもらっていた葛城奈海キャスターを
市長に紹介する。

夕方、石垣(新栄)漁港へ行き、
陸揚げされていた第一桜丸の「進水式」に立ち会う。
夕暮れの満潮時を待って海へ押し出すのである。
操舵室の上に、高々と日の丸の旗を立てる。
日暮れの空を背景に、はためく日の丸が美しい。
それを見つめる皆さんから思わず拍手が湧いた。
ここまでの様々な苦労が甦ったが、日の丸のはためきで全てが消えた。
さすがに、嬉しかった。

進水した第一桜丸のエンジンをかけ、新栄漁港から、
隣接する登野城漁港の方へ移動する。
いろんな人々が見ている。
海保も公安も監視している。
海風にはためく日の丸はやはり素晴らしい。 

翌日は石垣市教育委員会を訪れ、
新たに設立された「尖閣資料室」へパソコンの贈呈をする。
同席した教育長の玉津博克氏他五名の方に、
尖閣のナショナルトラスト運動を石垣市でやるよう提案もする。
彼らも賛成してくれた。

昼過ぎ、石垣の海上保安庁へ行き、次長と警備課長と会い、
尖閣行き漁業活動について話し合った。
八重山防衛協会長の三木さんも同席する。

漁船に乗るのは水島さんだけにしてくれないかと警備課長が言い、
私は拒否して、報道の自由、国民の知る権利を奪うなら
徹底的に戦わざるを得ないと告げる。
しかし、現場の人間の辛さもよく分かっているつもりだと話しておく。
そちらも建前しか話せないだろうが、憲法の精神は
単なる一法律よりも優先されるべきであることも話した。
部長が出てこないのは、ちょっと無礼だなと感じたが、
二人は良い人たちで、まあ、いいだろうと勝手に納得。
二人から、トイレ、潜水漁用入口の改造等のアドバイスをもらい、
一時間半ほどで終了した。

夕方、関係者全員で港へ行き、第一桜丸の試運転乗船準備。
海保か公安か、監視している車が一つ隔てた突堤の向こうに見えたので、
手を振るとそそくさと退散した。
良い気持ちはしないが、相手も仕事だから仕方無かろう。

乗船したのは砂川船長と、葛城さん他五名。
女性の葛城さんが船に乗っていると、
何だか華やかな感じになり元気になる。
日の丸を掲げて港を出航。
小浜島、西表島方向に向かう。
港を出て二十八ノットのスピードで走る。
時速約五十キロ。快速艇だけのことはある。
海風が心地よい。

三十分もかからない内に小浜島を通過し、西表島が近付いたところで、
Uターンして、石垣港へ戻る。
揺れも少なく、船長もこれなら四時間で尖閣に行けると話す。

そのまま、砂川さんたちと地元名物・黒鶏専門の店で酒盛り。
石垣の漁師たちは本当に酒(泡盛)が強い。
どんどん際限なく飲む。
さすがの私も圧倒され、ホテルに戻ったらそのまま眠り込んでしまった。

その夜、夢を見た。
尖閣に向かう船がどんどん水中に入っていき、
潜水艦のように進んでいく夢だった。
夢の中で私はちょっと大丈夫かなと思いながら、
水色に染まった世界の中で、よおしと張り切って立っていた。


「尖閣遠征記(一)」了。


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次回は尖閣遠征記(二)をお送りします。
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