【巻頭エッセイ】
「私が無ければ皆、私」
日本文化チャンネル桜代表 水島 総
「私が無ければ皆、私」という言葉は、禅学の大家鈴木大拙が欧米人
向けの禅の説明によく使ったそうである。
禅は根本のところで自我というものは無いとしている。
「汝と我」といったキリスト教的な人間観や近代主義的な個人(個我)の
存在など最初から否定している。
つまり、その人の周囲の世界と過去現在未来の時間は、全て境界無き
大我であり、仏の世界である。
「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という仏教の
教えは、草や木、国土といった心を持たないものもことごとく成仏すると
いう意味だが、草や木や山や川を単に擬人化して言っているのではなく、
文字通り、「私が無ければ皆私」の世界として、人間自体も特別な存在
として見ることなく、仏の大世界として「無差別」に観ているのである。
「自他不二」という仏教用語も同様な意味であり、これは般若(心)経に
代表される日本仏教の根本と私は考えている。
そして、神道もまた、時を超えた八百万の神々の存在と生きとし生ける
ものと山川草木を天地一杯の大きな命の営みとして観て来た。
私は神道と禅を信ずる人間である。
この両者には共通性があり、日本と言う国に生まれた類い稀な幸せを
感ずるのだが、この話は別の機会で書きたいと思う。
なぜこんな小難しい話を冒頭で書いたのかは理由がある。
三月十一日に起きた東日本大震災の惨状を私は日本人として、東北
地方に起きた自然災害だと客観的に考えられないからだ。
多くの日本人もそれを感じているだろう。
そして、大地震と大津波によって起きた福島第一原発の事故も同様で
ある。
私たち日本人は山川、草木、岩や石ころ全てを一種の「物神化」して、
観て、感受する傾向がある。
よく、私は「水田は単なる米の生産工場ではありません。私たち日本人
の心を養い、癒し、創り出す場所でもあります」と講演などで話すが、
同じ意味である。
大災害の発生から、一ヶ月半の間に五回、私は被災した各所に出掛け
て、救援物資を届けたり、取材等をして来た。
そんな中、生まれてからこのかた、見たことの無い惨害に直面した時、
私は「ああ、これは私たち(日本)なのだ」と胸を衝かれる体験をした。
目の前に広がる惨状は、単なる取材対象でもなく、他者として同情を
寄せる被災地と被災者でも無かった。
それは私であり、私たち日本人であり、私たち戦後日本の姿であった。
見るも無残な瓦礫の山の連なりは、私たち戦後日本の行き着いた姿で
あり、私たち戦後日本人の荒廃した精神の姿そのものだと思った。
誤解を恐れず言えば、ああ、これは私(たち)のせいなのだと、思った。
何百年か千年に一度と言われる大天災が私たちにもたらし、見せつけ
てくれたのは、私たちが戦後六十六年続けて来た物質まみれ金まみれ
の荒廃した瓦礫のような戦後日本の精神世界だった。
大津波の結果起きた原発事故も、私には私たち戦後日本人の姿
そのもののように思えた。
原発事故は大津波が引き起こしたとは言え、少なくとも第一原発の
半径二十キロ圏内の国土を汚染させた。
先頃、内閣府原子力委員でジャーナリスト青山繁晴氏の勇気ある
素晴らしい取材によって、福島第一原発の惨状の映像が公開された
が、津波で破壊された原発施設の姿は、「痛ましさ」を感じさせた。
機関車トーマスとか機関車やえもんとか、エネルギーを創り出す機械を
擬人化する例は多く見られるが、四十年以上にわたって稼働し、働き
続け、私たち日本国民に電気を供給して来た老いたる福島原発
もまた、私は日本の国土と国民に害を与えた単なる老朽化した障害物
には思えない。
良い悪いは措くとしても、人生の大半の時間を共に過ごし、働いて来た
存在である。
それは私たち戦後日本そのものではないのか。
私たち日本国民そのものではないのか。
私たちがどんなに汚れ、堕落しても、日本国をボロ雑巾のように捨て
ないのは、私たちが日本人であり、その汚れや堕落も自分の事として
引き受け、その痛みを分かち合いながら、そこから出発して一歩一歩
前に進む他ないことを知っているからだ。
それが私たち日本人の責任であり、義務だと考えるからだ。
原発推進論や原発肯定論を展開してきたはずが、今度の原発事故で
「動揺して」(私は「オタオタして」と書いた)、反原発、脱原発論に
「転向」した人々に、私が違和感と不快感を抱くのは理由がある。
彼等が昨日までの原発肯定論や推進論等をまるで忘れたかのように、
状況の変化によって考えを改めるのは当然だと主張し、とても元気に、
新たな原発の危険を新発見でもしたかのように、原発という存在と
原発推進論(多くの論は、より徹底した安全確保を目指しながら原子力
エネルギーを続けて行くという主張)を口を極めて危険だ、無くせと非難
し始めたことだった。
そんな主張は、ずっと昔から、反原発、反核グループが行っていたのだ。
まさに「易姓革命」「文化大革命」の現場を見ている気がした。
考えを変えたり、改めることは、人間にはよくあることかもしれない。
しかし、それには痛切な自分への問いかけがあってしかるべきではない
のか。
昨日とは正反対のことを元気に、正義を振りかざすかの如く主張する
自分への羞恥があってしかるべきではないのか。
この状態にはある既視感がある。
大東亜戦争の敗戦直後から始まった朝日新聞等のメディアによる反戦
平和主義への「転向」である。
戦争に敗れ、甚大な人的物的被害が明らかになった時、多くの人々は、
被害者面をして、戦争と軍隊は危険だと、反戦平和非武装中立といった
「日本国憲法」の主張に沿った考えに変わっていった。
あるいは広島長崎で原爆が落とされ、「もう二十年間、広島にはペンペン
草も生えぬ」と言われた時から、戦後六十六年間、反原発反核運動は
「人類が生み出した悪魔」との戦いとして、日本左翼と日本のマスメディア
を中心に、ずっと展開され続けてきた。
大東亜戦争と指導部への批判は、日本の「易姓革命」として、戦後日本
の主流を占めてきた。
今、マスメディアや反原発の人々が行っている東電に対する「魔女狩り」
騒ぎも、敗戦後の日本メディアや左翼文化人の発想と構造的に同じもの
なのではないか。
「日本人民が悪いのではない、悪いのは日本軍国主義」とは毛沢東の
言葉だが、当時の日本人は、戦争責任を全てナチスに押しつけたドイツ
の真似をしなかった。
「A級戦犯」を犯罪者にしなかった。
日本国民が一致して、誇りを持って大東亜戦争を戦ったこと、その痛み
と悲しみを知っていたからだ。
同様に、原子力発電の肯定も、ほぼ全国民的なものだった。
世の中に絶対安全なものなど存在しない。
なるべく絶対安全に近づける努力を続けるしかない。
今回の原発事故では、幸いにも一人も亡くなられた方は出ていないが、
大地震と津波で約三万人の人々が犠牲になった。
三陸地方ではそれなりの津波対策は為されていたにもかかわらずで
ある。
しかし、危険の可能性があるから、三陸の人々は山間部に全員移動
しなければならないのかというと、それは不可能だし、幼児的な議論で
ある。
今、起きているのは、原発はやはり危険で取り返しのつかない放射能
汚染を国土と人々の健康に及ぼす恐れがあるから、原発を廃棄すべき
だという論調である。
一見、理屈は通っているように見える。
原発事故はチェルノブイリ事故やスリーマイル島事故の前例があるよう
に、対応によっては大きな災禍をもたらすものだ。
しかし、思い出してもらいたい。
つい最近まで、地球温暖化を防ぐ最有力手段として、原子力発電は
世界中から認められ推進されてきたのではないのか。
チェルノブイリ事故後も同様に考えられ、進められてきたのではなか
ったか。
事故の可能性があることと原子力エネルギーの危険を承知で推進して
来たのではなかったのか。
なるべく、出来る限り、安全を目指しながら、原子力発電を進めること
を国民総体が認めて来たのではないのか。
にもかかわらず、私たちが今、まざまざと見ているのは、可能性として
は常にあった原発事故が津波によって発生し、それによって驚き慌て
ふためいた結果、覚悟と当事者意識を失って、原発自体を非難し、
東電を非難し、原発廃止を言うだけで事足れりと考えている戦後日本
の道義的、倫理的、思想的退廃の姿である。
脱原発を言うのは容易だ。
しかし、現実を考えれば、原発技術をより高度に、より安全にと努力
しながら、エネルギーを確保し、もしあるとしたらだが、新たな原子力
に変わるエネルギーの開発を探るしかない。
私たち日本人が脱日本人や反日本人に絶対にならない決意をして
いるように、脱原発、反原発などのような「易姓革命」など実際には
出来ないことを、痛苦な現実として、私たちは知るべきである。
日本という国家を自主独立の気概にあふれた国家に進めて行くため
には、軍事力、経済力、そして皇室を中心とした国柄を守って行くこと、
それを背負い、守り、引きずりながら、そこを出発点にして歩みを
続けるほかない。
「利口な」近代主義者や易姓革命論者たちが、それを原発推進論と
して非難するなら勝手にしておけばよいのだ。
大東亜戦争が終わった時点で反省して転向した戦後民主主義知識人
たちへの軽蔑と皮肉を込めて評論家小林秀雄が述べた言葉を思い出す。
「利口なやつはたんと反省するがいいさ。
俺は馬鹿だから反省なんかしないよ」
人の人生がそうであるように、今回の大災害や原発事故には、漫画や
映画に描かれるような華々しい一挙の解決策などない。
私たちが戦後作り上げて来た状況を、当事者として、その苦さと悲しみ
を噛みしめつつ、一生懸命、ごつごつとより良き未来を求めて地味な
努力を続けるしかないのだ。
改めて言うが、それが日本人としての責任と義務である。
私はずっと戦後日本批判をして来たが、戦後日本の一員として、この
痛みと責任から逃れるつもりはない。
冒頭に述べた「自他不二」は、原発も含めた私たち日本でもある。
唯一の慰めは、被災地で黙々と戦う自衛隊員であり、被災者たちの
静かな決意と沈黙のリアリズムである。
福島の原発避難所の人々のほとんどは、原発を安全なものにして
ほしいと述べていたが、廃止を言う人はいなかった。
私たちはこの現実を踏まえ、日本人として、どんなに孤立したとしても、
日本の「正気」を問い続け、主張し続けなければならない。