【巻頭エッセイ】
「オタオタするな」
日本文化チャンネル桜代表 水島 総
「オタオタするんじゃない」という言葉は、昔、チャンネル桜で歴史
講座をやっていただいた故名越二荒之助先生から聞いた言葉だ。
以前、南京「大虐殺」の討論をした時、先生に、南京大虐殺否定論を
述べていただこうと指名した時だった。
先生はその事実関係に触れず、言ってのけた。
「中共が、日本は三十万人虐殺したなどと言っておるが、
そんなことでオタオタするんじゃないですよ。あの中共は
七千万人も自国民を虐殺しとるんです」
この発想と指摘にはほとほと感心して、腹の底から笑った。
さて、未曾有の大災害と福島第一原発の事故によって、
日本は明らかに今、有事に在る。
有事に「在る」のであって、有事があったという過去形では無い。
しかし、日本のマスメディア、とりわけテレビメディアは、有事が終わり、
これからは「復興」の時だとするキャンペーンを既に始めている。
それに冷水を浴びせかけたのが、四月七日夜に東北地方を襲った
震度六強の地震だった。
福島原発の汚染拡大抑制活動も不気味な形で継続している。
数カ月はかかるだろう。
有事は未だ継続している。
『WiLL』五月号でも書いたが、この大天災の「有事」は、外国から
戦争を仕掛けられ、爆撃や砲撃を受けた事態と同じだと受け止める
べきだ。
元傭兵で軍事ジャーナリストの高部正樹氏は、自身の体験した
ボスニア・ヘルツェゴビナの爆撃された都市よりも酷い惨状だと
証言している。
福島の第一原発も「想定外」の津波によって破壊されたが、これも
ミサイル攻撃を受けて破壊されたとの想像力を働かせるべきだ。
地震も含めて、まだ有事は終わっていない。
東北地方の三万人を超える死者行方不明者の犠牲を真正面から
受け止め、私たち日本国民はこの有事の重い意味をもっと徹底的に
考える必要がある。
現実に未だ進行している危機から目をそらし、「復興」というある
意味でみみっちい希望にすがる時では、今は無い。
戦後保守派と呼ばれる人達の中にも、この天災が引き起こした
数万の犠牲者や原発事故の危機的進行の「有事」に動揺したのか、
原発推進論を引っ込め、原発反対論をぶち始めた人達もいる。
私から言うと、今この時を彼等は国難であるとの有事(戦争)意識が
薄いからではないかと思う。
ミサイル攻撃を受けて損壊した原発に驚き、だからこそ攻撃を
受けぬよう抑止力である核武装が一刻も早く必要だと論ずるなら
ともかく、原発は危ないし、国土も汚染されて子孫に禍根を残すから
止めようと言い出したのである。
原子力の平和利用が、石炭や石油という化石燃料を燃やす化学
反応では無く、物質そのものの核分裂や核融合という未知の分野に
踏み出したエネルギー分野であることは、これを始める前から
わかっていたはずである。
私たちは平和な「お花畑」に住んではいない。
地球という常に変化している活火山のような惑星に住んでいる。
惑星としての地球はこれまでも何度もあったように、小惑星や
彗星等の衝突もあり得る宇宙の天体である。
私たちはそうした自然の想定外リスク(危機)の上に生息し、何とか
人智で解決し、防げるものは防ごうとして来たのではないのか。
人類が誕生して以来、私たちは想定外の天災によって多くの犠牲を
強いられて来た。
これは厳然たる事実であり、現実である。
「保守」の思想とは、その現実を直視し、真正面から受け入れる
姿勢でもある。
しかし、今回の千年に一度と言われる私たち人間の浅はかな人智を
超えた「大津波」とその後の菅内閣政府と東京電力経営陣の
無能無策によって、この天災は人災へと変化したのだ。
私にとって津波は大天災だが、原発事故の拡大は人災である。
衛星放送日本文化チャンネル桜の番組で、こういう「保守」動揺
分子の皆さんに対して「オタオタするな」と呼びかけた。
しかし、返って来たのは、反原発をずっと主張して来た人々と同じ
焼き直しの意見と、「原発原理主義」だとの感情的批判だった。
このような有事に動揺して、先を争って「転向」表明をし、原発反対を
叫びたければするがいい。
しかし、福島第一原発構内の最前線の現場で、原発事故を押さえ
こもうと命懸けで戦っている東電関係者、自衛隊、消防関係の
人々のことを少しでも考えた時、原発の危険をしたり顔で披露する
自分が恥ずかしくないか。
これまで原発に賛成して、推進の旗振りをして来た自身の不明を
恥じるなら、まず、左翼や反原発活動家や思想家に土下座して謝り、
自らの原発推進の「犯罪行為」と愚かさを悔いて国民に謝罪し、
原発事故の最前線の現場に赴き、原発汚染阻止の「人柱」になる
覚悟と実行を表明すべきである。
恐らく出来はしまい。
こういう偽善と似非ヒューマニズム、似非環境主義を批判して
来たのが「保守」ではなかったか。
まあいいだろう。
彼等がピーピーと反原発をさえずっている間に、最前線の「兵士」達
は決死の覚悟で原発汚染防止の戦いを続けているのであり、恐らく
時間はかかるかもしれないが、原発汚染はある程度の処で押し止め
られるだろう。
本当はその「戦い」が終わった時、冷静に厳正に、今回の原発事故
の原因の究明と人災だった部分を明らかにし、その対策を検討し、
全ての情報を国民に公開し、その上で原子力エネルギー政策の
可否を国民が決定すれば良いのである。
この状態にはある既視感があった。
大東亜戦争に敗れた十日後辺りから始まった朝日新聞等のメディア
の反戦平和主義への「転向」である。
戦争に敗れ、甚大な人的物的被害が明らかになった時、多くの人々は、
戦争は危険なもの、軍隊は危険なものとして、反戦平和非武装中立と
いった「日本国憲法」の主張に沿った考えに変わっていった。
あるいは、広島長崎で原爆が落とされ、「もう二十年間、広島には
ペンペン草も生えぬ」と言われた時から、漁師が放射能で死亡した
第五福竜丸事件を経て、戦後六十六年間、反原発反核運動は
「人類が生み出した悪魔」との戦いとして、ずっと続けられてきた。
これらの運動は、日本左翼とその影響を受けた日本のマスメディアを
中心にずっと展開されてきた。
一体、こういう発想とどこが違うのかと、自称戦後保守に言いたい
わけである。
君たちの自然観、世界観は、津波の威力と放射能に脅え、動揺し、
結局、反原発主義者の彼等と同じような近代主義自然観、似非環境
主義に戻っただけではないか。
どんな百万言の「岡目八目」の講釈を垂れようと、諸君は戦後日本の
日本国憲法の世界に絡めとられたのである。
最早、言葉もない。
勝手に、反原発を叫び、火力発電でCO2を増やし、反原発環境主義者
の皆さんと一緒に、日本を「良くしてくれる」ことを望むだけだ。
私たちは今、大災害のもたらした恐るべき惨状を見つめて呆然と
佇んでいる。
しかし、この惨状は都市や港が破壊された姿だけでは無い。
私たちが今、目の当たりにしているのは、勇気と覚悟を失った戦後日本
の道義的、倫理的な無惨極まる状況であり、戦後日本の思想的な
退廃の惨状でもある。
私の言っている「保守」は、いわゆるイデオロギー的な意味での
保守では無い。
そんなものや連中は元々信じていない。
それよりも、日本人として、このリスク一杯の火山列島日本そのものを
丸ごと愛せるかという問いかけである。
火山や地震や津波が怖くて日本に住めるか、原発が怖くて日本に
住めるか、本当に「恐ろしい」自然が支配する日本に住めるか、
その性根が問われていると考えるのである。
日本を愛するというのは、都合良く、美しい日本だけを
愛するのではない。
駄目な日本、汚い日本、危険な日本も、丸ごと愛することなのだ。
新たなエネルギーや方策を模索しながら、今はこの失敗や人災を
踏まえ、原子力エネルギーを推進していく。
それが私の考えである。
オタオタしない、名越先生の笑顔を思い出しながら、
草の根日本国民にはそうあってほしいと願っている。