【巻頭エッセイ】

「戦後日本を呪縛するもの」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

「話し合えば、きっと理解しあえる」
この言葉は果たして正しいのか。

もう十五年以上前になるが、私がまだ「現役」の脚本家、映画監督として、
テレビドラマや映画に関わっていた頃、ロケ撮影で使用した長崎県島原
の小学校で、教室の壁の額縁の中に、この言葉が 掲げられていた。
恐らく担任の教師が書いたのだろう。

見た途端、ああ、ここでも子供に嘘を教えていると溜息が出た。

自分の女房や子供、親兄弟、友人、恋人、何でもいいから冷静にちょっと
思い出してみればすぐわかる。
話し合って理解しあえるなんてのは、ほとんど嘘っぱちなんだと、どなた
でも完璧に了解出来るはずである。

現実には、「(人間同士はほとんど)理解し合えないから、(必死で、ある時
には命懸けで)話し合うのだ」というのが真実だろう。
理解し合うために話し合えと教えるのは良いが、話し合えば理解し合える
などと子供たちに教えるのは、嘘であり、偽善であり、罪悪である。

もうひとつ、「理解し合うのは困難だが、愛し合う事は出来る(可能性が
ある)」と小さな声で呟いておこう。

しかし、戦後六十数年、日教組によって、こういった大嘘と偽善の教育
ずっとされて来た。
そのツケが今、恐るべき結果となってテレビメディアの人々の心に浸透
している。

私はこれまでメディアの偏向の原因を、現場のディレクターやプロデューサ
ーの偏った左翼イデオロギーの意志で起こされていると考えて来た。
しかし、それは一面的には正しいが、全てではないことを改めて理解した。
戦後六十六年、戦後日本全体が、冒頭の言葉に象徴されるような偽善と
嘘の世界観、人間観で形成されて来た、その土壌が原因であったことに
気づいたのだ。

簡単に言えば、日本国憲法である。
特に、憲法前文の内容は、余りに能天気で、偽善の権化の如き文章で
ある。
戦後日本の諸悪の根源と言っても良い。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な
 理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に
 信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

この一文の「精神」が、一切の戦後日本と日本人の偽善と似非世界観を
形成したと言っても言い過ぎではないだろう。

その矛盾を見事に露呈させた「事件」が年末に起きた。

十二月十九日深夜、日本最西端の島、沖縄県与那国島の久部良港から、
一隻の漁船が出港した。
船名「早希丸」5.9トン、乗員は請倉清一船長と新嵩喜八郎氏の二人で
ある。
二人は、尖閣諸島付近で正々堂々漁師として当然の漁を行って、尖閣
諸島が領土であるだけではなく、漁場としても日本固有のものであることを
示したいと考えていた。

翌朝、尖閣諸島魚釣島付近に到着した彼等は、カジキやマグロのトローリ
ング漁をしようとしているのを海上保安庁のセスナ機に発見され、尖閣
南小島付近で海保巡視船「みずき」の臨検を受けた。

同海域は日本領海だが、国や県、海保などには日本漁船の接近を歓迎
しない空気がある一方、中国の密漁船などが無法行為を繰り返している
ことで知られる。

このため、同船は「日本領海で日本漁船が漁をできないのはおかしい」と
判断。
「強盗中国 我々の領土を荒らすな」という垂れ幕を掲げて操業していた。

すると、同日昼ごろ、巡視船「みずき」など海保の艦船2隻が近づき、海上
で約2時間にわたって立ち入り検査や事情聴取が行われた。
乗船して来た海保職員の長時間の事情聴取や船内捜索、繰り返される
停船命令等によって、彼等は全く漁の出来ぬまま、海保巡視船による
監視の中、与那国島に戻って来た。

翌日も、海保職員による船内捜索や事情聴取が長時間行われ、忍耐強い
二人も終に怒りを爆発させた。

その十日前、石垣市議の仲間均、箕底用一両氏が、尖閣諸島南小島に
上陸していたから、海上保安庁は、再度の上陸行為を警戒したのかも
知れない。
しかし、彼等は海保に発見される前、既に尖閣諸島に到着しており、上陸
しようと思えば出来た。
彼等の目的は、あくまでも、与那国の漁師として、尖閣諸島周辺で漁を
行う事だった。

しかし、八重山群島の漁業関係者として当然の権利を行使した今回の
行動は、地上波テレビで全く報道されなかった。
石垣市議二人による尖閣上陸「事件」の方は、フジテレビを中心に、
ニュースとして各地上波テレビや新聞等で報道されている。

この違いは何なのか、テレビメディアのニュース価値判断の基準が何処に
在るかを考えてみる好例だろう。
恐らく、単純に尖閣に上陸したかしないかでニュースの価値判断をしたの
だろう。

しかし、ちょっと考えてみれば、今回の行動が、日本にとって、最も合法的
で平和的に、日本の尖閣諸島実効支配を世界にアピールできる最善の
民間行動だったことがわかるはずである。
同時に、尖閣諸島周辺で行われている本末転倒とも言える海上保安庁に
よる日本漁船の漁業活動に対する妨害行為を明らかにする報道が出来た
はずなのである。

それをテレビメディアは気づかなかった。
気づいていたかも知れないが、知らぬふりをした。

日本のマスメディアは、戦後日本の「平和思想」=日本国憲法の前文の
思想に拠っているからである。

戦後日本人は、「平和を愛する(はずの)諸国民(中国・朝鮮・ロシア・米国)
の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
はずなので、海保はその通りの行動をして、平和を愛し、公正と信義を
重んずるはずの外国(中国)の怒りを呼び起こしたり、トラブルを起こす
かもしれない日本漁船の方を、取り締まろうとしたのだ。
マスメディアも同様に、だから報道しなかったのである。

すなわち、彼等は日本国憲法を守ろうとしただけということになる。

「平和を愛し、公正と信義を重んずる」中国を信頼して、「われらの安全と
生存を保持しようと決意した」以上、漁業が出来なくても、領土が奪われ
ても仕方ないということになる。

この本末転倒、倒錯した国防安全保障の状況が、今回の事件である。
本来は日本漁船の漁業活動を保護し、守るべき日本政府と海上保安庁
が、日本国憲法の精神に従って、中国との「外交的トラブル」の発生を
恐れ、本末転倒の日本漁船の活動妨害をした。
同様にマスメディアも、報道しなかったのである。

一月八日、その顛末を私の経営する衛星放送「日本文化チャンネル桜」
は、三時間番組「緊急尖閣スペシャル 今、日本が守るべきもの」という形
で放送した。
この放送によって、現在の尖閣諸島を巡る「警備状況」や八重山群島
(石垣、与那国、西表、宮古島等)の漁業が事実上、政府と海上保安庁
の「警備」と称する妨害によってほとんど行えなくなっている状況が明らか
になった。

つまり、尖閣諸島周辺は絶好の漁場にもかかわらず、そこに行けば、
海保によって停船命令や臨検(船内捜索)や長時間の事情聴取が繰り
返され、本来の目的である「漁業活動」が妨害され、結局、船のガソリン
代や日当に見合う漁獲量を揚げられず、漁に行くだけ損をする状況が、
政府と海上保安庁によって作られているのだ。

まさに事実上の「戒厳令」が日本国民に布告されているのである。
これでは、荒い波の中、尖閣諸島付近まで漁に出る漁師がいなくなる
のは当然である。

本来、海上保安庁は、中国や台湾の漁船の違法操業、領海侵犯を取り
締まり、日本の漁業活動を保護すべき政府機関のはずが、石垣や与那
国の漁業を妨害するという皮肉な結果を生みだしている。
まことに本末転倒の状況である。

この現実は広く日本国民に知らされるべき情報であり、本来、マスメディ
アが先頭になって報じるべきものである。
しかし、それは為されなかった。

実は、この貴重な事実は、最初は地上波テレビ局に持ち込まれ、広く
国民に知らせるべく取材者や当事者たちから望まれていたのである。
しかし、地上波テレビ局は、様々な理由にかこつけて、この情報を報道
しなかった。

この情報を私たちにもたらしてくれたのは、フォトジャーナリストの
山本皓一氏である。

山本さんは、尖閣諸島のみならず、竹島や北方領土も含めて、日本の
領土問題報道を長年続けている方である。

彼は今回、与那国の漁師たちが尖閣諸島周辺で漁業活動が困難に
なっている「自主規制」的な実態を知り、それを広く国民に報道すべく、
請倉船長と新嵩さんと相談しながら、九月頃から準備を進めて来た。
単なる尖閣パフォーマンスに見られぬように、漁業活動に徹するため、
自分は船に乗る事を断念し、与那国に待機して衛星電話で現場と連絡
を取り合うことにしていた。
彼は日本国民としての立場をジャーナリストの功名心より優先させた。

こういうジャーナリスト魂が、少数ながら、まだ日本の独立ジャーナリスト
には残っている。
こういうジャーナリストやチャンネル桜を支えていただいている草莽の
皆さんを思う時、日本もまだまだ捨てたものではないと思う。

そして、手前味噌になるが、もし、チャンネル桜を創立しなかったら、
今の日本はどうなっていたかを想像すると、自分のやっている事が
大筋で間違っていなかったことを確信する。
同時に、共に歩んでくれた皆さんへの感謝の気持ちで胸が一杯になり、
その責任の重さを痛感する。

初心の草莽崛起の気持ちと西郷南洲翁の言葉を忘れず、
歩を進める決意である。

  命もいらず、
  名もいらず、
  官位も金もいらぬ人は、
  仕抹に困るもの也。
  此の仕抹に困る人ならでは、                    
  艱難を共にして
  国家の大業は成し得られぬなり。

  (南洲翁遺訓より)

私達は、西郷翁の言う「仕抹に困る」メディアであり続ける。

私自身も、死ぬまで「仕抹に困る」人間であり続けたいと願っている。

共に「仕抹に困る」行動を歩まん事を。

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