【巻頭エッセイ】

「人と国はもう一度やり直せるか」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

このメルマガもおかげ様で200号を迎えた。
お読みいただいている皆様と編集スタッフに感謝したい。

チャンネル桜も創立以来七年目を迎えているが、しみじみ思うのは
「継続は力なり」という言葉の真実である。
何度も危機を迎えたが、皆様のおかげで何とかここまで「しぶとく」
チャンネル桜の放送を継続して来られた。

私自身、年齢の進んだせいもあるだろうが、昔は自分の人生を太く短く
生きることしか考えていなかった。
しかし、ここまで来ると、自分の内にも、しぶとく、忍耐強く、寛容な部分
があるのだなと思い始めている。

映画やテレビドラマの監督や脚本家を生業としていた頃の自分でも
持て余す程のもの凄いエネルギーや短気で神経質で妥協しない
我儘さを思い出す時、人はやはり変わっていくものだなと思う。

少年時代は、勝手に自分で「誇りある孤立」を自負し、思想や哲学本を
読みあさり、ニーチェに心酔し、ひたすら柔道に打ち込んでいた。
そのくせ、ロマン・ロランやヘルマン・ヘッセといった作家たちの感傷的
でヒューマンな小説が好きだった。
「アンチ・キリスト」のニーチェを読みながら、聖書を読むことも好きだった。
様々な仏教書も読みふけった。

そんな孤独な自己燃焼をあれこれ続けていたが、自分のエネルギーの
行方が、全く分からなかった。

大学生となり、私は生涯の師とも言えるトーマス・マンと道元禅師に
出会った。
一人で肩を怒らせ、焦燥に駆られながらずんずん進んで行くが如き
生き方に変化が起きた。

道元の「正法眼蔵」の哲学的衝撃と座禅の影響は大きかった。
トーマス・マンのヨーロッパ近代主義批判も、文明的な進歩史観で生きて
来た自分に、民族「文化」を思い出させた。

両者は、私の内奥に隠れていた「日本」を蘇らせてくれた。
世界最古の日本文化と伝統が、私の内にあることを知った。
無数の祖先が私の内に生きているのも知った。

私は「日本人」であることに気づいた。
私は自分が圧倒的に日本が足りなかったことに気づいた。
近代主義的自我の孤独地獄で無暗にもがいていた自分に気づいた。

その後も、色々あった。
しかし、やっと私は日本に還ってくることが出来たのである。

私はもう孤立していなかった。
私は日本から「おかえりなさい」と告げられたのである。

「おかえりなさい」
学校から戻ると、いつも聞こえた母の言葉を思い出す。
本当に良い言葉だと思う。

脚本家としてずっと書いて来たメインテーマは、
「人はもう一度やり直せるか」だった。
そして、人の素晴らしさ、美しさは、どれだけ孤独や孤立の涙を味わった
人かを見ると、ほぼ見つけられることを知った。

優しさや人情、共感、情愛は、「ひとりぼっち」を自ら体感し、経験した者
でなくては分からないし、生まれない。

「人はもう一度やり直せるか」
単に個々人だけではなく、日本という国家についても問いたいテーマである。

大東亜戦争で敗れ、今またポスト冷戦後の世界でも、私たちは敗れようと
しているからだ。
未だ冷戦構造の思考しか持てぬ政治家たちが牛耳る民主党政権誕生こそ、
私たちがポスト冷戦の世界で再び敗北している事を示している。

私たち日本人は果たしてやり直せるのか?
私たちの国日本はやり直せるのか?

日本人の性根が、今、本当に問われている。

改めて、チャンネル桜とメルマガ200号がここまで来られたことについて、
皆様に感謝を申し上げたい。
ありがとうございました。

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