【巻頭エッセイ】

「仕抹に困る人ならでは」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

雑誌『WiLL』九月号に小林よしのりさんへの「反論」を書いた。
もう、ああいう人と関わらないで、別のやるべきことをしたら、という意見も
よく聞く。
その思いはよく理解出来る。
私にもそんな気持ちが一部にあるからだ。

しかし、今回は自分の気持ちだけで済まない問題がある。

ひとつは、小林さんが雑誌『WiLL』、『SAPIO』等で、私や新田皇學館大
教授や渡部上智大名誉教授だけでなく、数年前、百二十五代続いた
男系皇統を護ろうと「皇室典範改悪反対」に起ち上がった全国の草の根
草莽を、ファナティックなカルト呼ばわりで非難していることである。

彼らには反論の場がない。
私は代弁すべき立場にある。

「反論」のもうひとつの理由は、『WiLL』八月号の「本家ゴーマニズム宣言」
の第十四話「商売のために描いているが、何か?」で、小林さんが我が
チャンネル桜の経営に対して、見当はずれな非難や中傷をして来たからだ。
雑誌『SAPIO』(7月28日・8月4日号)でも同様である。

余計なお世話と一言で片づくことだが、これはチャンネル桜への営業妨害
であると同時に、視聴者の皆様に対する侮辱と誹謗中傷なので、黙って
いるわけにはいかないと考えた。

ただ、私が『WiLL』で書いたのは、小林よしのりという漫画家が、極めて
戦後の日本と日本人の在り方を体現しているのではないかという点につい
てだった。
戦後日本批判のつもりで、私は小林よしのりさんへの「反論」を書いた。

「罪を憎んで人を憎まず」の言葉通り、小林さん個人への恨み、つらみは
一切無い。
だから、私から小林さんへの「小林よしのり」的な個人攻撃を期待した方は
失望するだろう。
詳細は『WiLL』九月号をお読みいただけたらと思う。

元々、男系女系の皇統論の論争も、チャンネル桜の「ゴー宣・チェリ*ブロ
」に出演が決まった時、小林さん当人から番組内で女系皇統論は一切
しませんという申し出があったが、私の方から「いや、毎回毎回やられては
困りますが、一、二回程度なら話して下さって結構ですよ」と言ったくらいで
ある。

それが番組出演が決まった途端「天皇論追撃篇」で、女系容認論どころか、
愛子内親王殿下を悠仁親王殿下よりも先に皇位に就いていただくべしと
いう女系直系論が開始され、男系論者とそれを支持する国民を「カルト」と
して非難し始めた。

皇統論争はそれまで各雑誌等で様々行われていたが、泥仕合的な誹謗中
傷を始めたのは、間違いなく小林さんである。

それに小林さんという人は、こちらが相手にしても無駄だからと、無視や
沈黙をすると、自分の主張や断定が正当と認められたと公言し、勝った
勝ったと吹聴する人物だから始末に悪い。
これまでがそうだった。
正直、これは支那朝鮮のプロパガンダのやり方そのものである。

だから、かかる火の粉は払おうと、仕方なく起ち上がったのが、
私たちなのだ。

皇統論議は、普通にきちんと公開討論が行われたら、小林さんの主張
している悠仁親王殿下よりも優先して愛子内親王殿下を皇位に就いて
いただくべしという「直系女系論」は、簡単に論破される。
既にそうなりつつある。

だから、私はチャンネル桜で徹底的な議論をしようと呼びかけている。
それで、案外簡単に片付くと考えている。

しかし、残念ながら小林さんのやったことは、冷静で、客観的な議論の
展開を進めるのではなく、私や新田さん、百地日大教授、小堀東大名誉
教授、チャンネル桜、男系皇統支持の国民に対する誹謗中傷プロパガ
ンダ漫画の展開だった。

私は話し合いさえすれば物事の片がつくと安易に考えている
「平和主義者」ではない。
無用な「喧嘩」は避けたいと考えるごく穏健な人間である。
しかし、不当に売られた喧嘩は必ず買う。

『正論』九月号でも書いたが、子供の頃から喧嘩はよくしたが、理不尽な
喧嘩をした記憶はない。
ガキ大将で喧嘩が絶えなかった小学三年の頃、父親から教えられた
ことがある。

「弱い者や女の子、自分より年下や小さい者に、絶対手を出すな。
優しくしろ」

「自分から先に手を出すな。その代わり、一発殴られたら
二倍にして返して来い」

「世間にはお前より喧嘩の強い奴がいくらでもいる。勝てなくてもいい、
絶対に参ったするな、負けなければいいんだ」

社会的には大した人物では無かったかもしれないが、
私は父が好きだった。
人の世の無常を静かに耐えているような晩年の表情をよく思い出す。
八十九歳で亡くなったが、鼻の下と顎に白髭を蓄えて、お父さんは
仙人か、平和で善良な「貧乏神」みたいだねと、母と笑って話したことが
あった。

私は父のあの「乱暴な」教えを今も忠実に守っているような気がする。

小林さんとの「泥仕合い」に見える「論争」も、今や小林さんはほぼ論破
され、論理破綻して追い詰められ、私は何だか「弱い者いじめ」をしている
ようで、まことに愉快ではない気分だ。

しかし、彼は議論や論理で駄目なら、個人やチャンネル桜への誹謗中傷
攻撃を始める「可愛くない」態度だから、哀れとは思いつつ、さらに追い
詰めざるを得ないのだ。

私の父の「教え」に沿った言い方をすれば、小林さんは、今や「負けなけ
ればいい」と考え、必死に「絶対参ったしない」態度で、泥仕合の引き分け
に持ち込もうとしているのだろう。

普通の喧嘩だったら、まあいいさ、と見逃すことも出来るが、
今回の論争は皇統の問題である。
簡単に、小林さんが目指しているどっちもどっち的印象の泥試合風引き
分けで終わるわけにはいかないのである。

今回の「論争」で、小林さんが学ぶべきことがある。
それは、商売の為に漫画を描くと公言して開き直っているのは良いとして、
皇統を漫画として描き、主張するという、計り知れない「畏れ」だけは身を
もって知るべきなのである。
皇室、皇統だけは「ゴーマンかましてよかですか」が通じない世界であり、
対象なのである。

さて、『WiLL』に書いた「反論」だが、小林さんの皇統に関する主張の
個々の破綻ぶりは、短い紙数では書ききれないくらいになっている。

御自身でいつも「勉強」していると豪語していたが、一例を挙げると、
小林さんは天智天皇を女性天皇だとして誤って描いてしまった。
勿論、天智天皇が大化の改新の中心人物である中大兄皇子であること
は、中学生でも学んでいる基礎的な歴史知識である。

小林さんも、さすがに次号で「締め切りに追われて」と苦しい言い訳をして
いたし、人間は誰でも思い違いや間違いを犯すものだから、私は
まあいいかとそれについて非難をしなかった。

しかし、最近出た雑誌『SAPIO』(7月28日・8月4日号)で、私の発言を
似顔絵入りで批判し、
「(水島は)カーッとなったら、たちまちテレビでノーチェックでぶちまけたり」
と批判し
「そういうものと『ゴーマニズム宣言』は全然違うのだ!」
と書いて、御当人、スタッフ、編集部スタッフのチェックは凄いのだと
自慢していた。

それで、おいおい、ちょっと待って下さいよと言う気になった。
天智天皇を女性天皇であるとした小林さんの基礎的歴史知識の欠如と
この誤り、それを全く気づかなかった小林さんのスタッフと編集者の
レベルは一体どうなっているのかと、言いたくなったのである。

同時に、そんな程度の人達が、恥ずかしげもなく、皇統の直系女系論を
「歴史思想」として語るおこがましさに、揶揄の一言も言いたくもなるので
ある。

皇統をめぐる論議については、雑誌『正論』八月号の新田均さんの論文
や同氏のブログ、または、小林さんから「イカれた」「童貞」「大人の世界を
知らない」等、散々誹謗中傷された皇室研究者で出版編集者の
谷田川惣氏のインターネットサイト「小林よしのり『ウソ・詐欺全集』」を
見ていただきたいと思う。

彼らによって、もう完膚なきまでに小林氏の主張「女系直系論」が
論破されている。
可哀想なくらいである。

これらを読んでも、まだ小林さんの「間違い」が理解できないなら、
もう肩をすくめて苦笑するしかない。
私自身は、近々、彼等の論考をまとめて本にして出版し、きちんと
この論争に止めを刺したいと考えている。

さて、チャンネル桜への誹謗中傷について、『WiLL』九月号でも言及した
が、ここでも書いておく。

小林さんは私が「公共の電波」を使って小林さん個人の人格口撃、名誉
棄損を行っていると述べ、
「彼らがテレビにこだわるのは、1人、ひと月、1万円で2千人から金を
集めるためである。今、1800人くらいから集金してるとすれば、月に
1800万円、年に1億以上の資金が獲得できる。高額のお布施で
運動テレビ作るなんてうまい手を考えたものだ」
(『WiLL』八月号「本家ゴー宣」)
としている。

また、『SAPIO』(7月28日・8月4日号)でも
「彼らの資金源は『寄付・お布施』である。『国のために金をくれ!』という
強迫的な正義によって、金を集め、それで食い、それで運動する」
と主張している。

他人の懐の中を勝手に覗いてあれこれ想像し、悪口を言う …… 小林
さんの品性が十分証されて、何をかいわんやだが、これが事実なら仕方
ないが、そうでないのが問題なのだ。

また、
「わしに『商売で描くな』と言う連中は、確かに商売にならない活動をして
いる。運動のため、イデオロギーのためだけに集団行動をとる連中だ!
それはオウム真理教などのカルト団体と同じである」(同『SAPIO』)
と述べている。

小林さんは、何と、私のみならずチャンネル桜と視聴者をオウム真理教と
同じ「カルト」と誹謗中傷しているのである。

何万部も売れている二冊の雑誌に、私と視聴者の皆さんが似顔絵入りで
嘘と歪曲を書かれるのだから、反撃するしかないだろう。

チャンネル桜は、確かに「商売(金儲け)にならない」事業をしている。

それは日本で唯一の自由で独立不羈の草の根テレビ局チャンネル桜に
よって、金儲け商売より優先して、公正で本物の映像情報を提供したいと
考え、実行しているからである。
偏向マスメディアしか存在しない戦後日本に、チャンネル桜がどうしても
必要だと考えたからだ。
お金が沢山入るに越したことは無いが、金儲け商売よりも、日本の為、
日本国民の為になる映像情報を提供することが最優先されているので
ある。

まともに金儲け商売を考えたら、この衛星放送の事業などに手を出さない。
その証拠に、私以外の誰も、このビジネスモデルに参入しなかった。
商売にならないからだ。

事実、この七年間の経営継続のため、私は自身の七億余りの金を失った。
現在、家も貯金も無い。
サバサバしたものだ。

そういえば、『WiLL』八月号で、小林さんはハワイ滞在を描いて、
御自分の生活の豊かさと「円熟」を語っていた。

ハワイで豊かさと「円熟」を楽しみ、自慢する漫画家もいれば、
「方丈記」や「徒然草」の如く、貧しくとも埴生の宿も我が宿と楽しむ
「円熟」も日本にはある。

人にはそれぞれの生き方があっていい。

小林さん流の「商売のために描いているが、何か?」に即して言えば、
商売の要は「商品」の内容と「信用」である。

チャンネル桜は、他のマスメディアが報道しない、報道出来ないような
国民に必要な高品質情報(商品)を取材し、分析し、それを毎日提供
している。

中国や南北朝鮮といった外国勢力から影響を全く受けず、全ての大企業、
政治家、外国勢力、宗教団体等々、どこにもおもねらない独立不羈の
テレビメディアとして、パチンコ屋や高利貸し等のスポンサーも選ばず
(一度だけ、パチンコメーカーのスポンサーを勧められたが、私は断った)、
オリジナリティーと勇気ある映像情報を提供して、「信用」を得ている。

だからこそ、毎月約1,800人もの人が、一万円出しても、
観たい、支えたいと考えていただいているのである。
小林さんもチャンネル桜のNHKに対する「戦う報道」に「感動して」、
一時的とは言え二千人委員会の会員になったはずである。

こういう姿勢だからこそ、最近の小林さんの「民主党評価」や「管直人
褒め」のように「ブレる」ことなど無いのである。

社長の私は経営の拡大と充実を目指しているが、
私心や金欲は無い(食欲はある)。
自分の全てを失っても、何とか草莽の公共電波発信を続けたいとの
決意と志だけは持ち続けている。

もし、(万が一)金が儲かったら、チャンネル桜の為、日本の為に使う。
これははっきりしている。
こういう姿勢の番組製作に対して、皆様から信用していただいている
のである。

しかし、私は他人がどんな生き方をしようとも、文句など付けるつもりは
全くない。
人それぞれである。

もし、私が日本人として、同胞に望むとしたら、51対49の割合で、
公の心と私の心の割合を考えてもらえたらと願うだけである。

だから、小林さんが漫画家として「金儲け」しようが、「商売で描こう」が、
何の不平も無い。
私が言いたいのは、
天皇陛下をはじめとする皇族の皆様を自分の「思想」や「主張」の
商売の為に利用したりするなよと言いたいだけである。

私が小林さんの「天皇論」を、最後の部分の女系論はいただけないが、
全体から言えば大変良い本ですと褒めたのも、「天皇論追撃篇」と異なり、
自分の女系皇統論の主張の為に、
天皇陛下や皇族の御顔や御言葉を使っていなかったからだ。

また、『SAPIO』(7月28日・8月4日号)で、小林さんは新刊の
「英霊の言乃葉」選集の編集をして、
「出版社が印税の7割がわし、3割が靖国神社にと言ってきたが、即座に
断わって、逆にしてもらった。印税の7割が靖国神社に入るようにしたから、
『アンチ・小林よしのり一派』が最近しきりに言っている『小林よしのりは
商売のために描いている』という馬鹿馬鹿しい非難は当たらない」
と述べている。

どこの一派が非難しているのかはかなり不明だが、
靖國神社の為には、ありがたいことである。

ただ、小林さんのこういう「善意」の披露を読むと、
私は余りに戦後日本的な戦後日本を感じて、脱力する。
昔の日本男児はこんな風では無かった、と思う。

ここが私たちと「小林よしのり」を別つ部分なのだと気づく。

戦後日本と「対峙する」私たちとの違いを痛感するのだ。

この論争が終わる頃、おそらく、私たちは溶解していく戦後日本を見送る
ことになるだろう。
その中に、小林よしのりさんが含まれていないことを微かに希望しながら、
この「余りに戦後日本的な」人物を見送りたいと考えている。


 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、
 仕抹に困るもの也。
 此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして
 国家の大業は成し得られぬなり。

                    南洲翁遺訓より


私達は、頑固に、西郷翁の言う「仕抹に困る」メディアであり続ける。

私自身も、死ぬまで「仕抹に困る」人間であり続けたいと願っている。
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