【巻頭エッセイ】
「現実と理想のはざまで」
日本文化チャンネル桜代表 水島 総
インカ帝国は、十五世紀から十六世紀にかけ独自の高度な文明で栄えた
南米インディオが築いた大帝国だが、ピサロ率いる百八十名程のスペイン
軍によって滅ぼされた。
当然、なぜ、数万の軍隊を擁するインカ帝国が、という疑問が湧く。
原因はさまざまに言われているが、一番の理由は「情報戦」に疎かった
からだ。
彼等の世界観は「友愛」で、他民族、とりわけヨーロッパ人(白人)が基本
的に「腹黒い」し、「強欲」だと、全く理解して無かったのである。
インカ帝国は、侵略と黄金を狙って訪れたピサロたちを無警戒に歓迎し、
陰謀によって皇帝を捕らえられた。
それをきっかけに、一千六百万人の人口を有し、スペインをもしのぐ高度
な文明を誇っていた大帝国はいとも簡単に滅ぼされたのである。
北アメリカのいわゆるインディアン(ネイティブアメリカンと言うらしい)も
同様である。
彼らもまた、「八百万の神々」の世界観で、メイフラワー号でアメリカに
上陸した白人たちと平和に共存できるだろうと夢想した。
インディアンは、白人たちの「腹黒さ」「人種差別意識」に気づかぬまま、
彼等を「友愛」精神で受け入れた。
その結果、西部劇で見られるとおり、「西部開拓」と称する侵略行為に
よって、数百万人と言われるアメリカインディアンが牛馬のごとく大虐殺され、
土地も資源も人間の命も奪われて、北アメリカは白人の支配する国となった。
南北アメリカのインディオは、古モンゴロイドとして私たち日本人とルーツを
共有しており、人間と自然と神々との共生を世界観とする「性善説」の民族
群である。
しかし、ヨーロッパを中心とする白人の世界観は、アダムとイブの犯した罪
という原罪(悪)を人間観の出発点とし、人間を「性悪説」として見るキリスト
教文明である。
かくのごとき、全く異質の世界観を持つ民族同士が遭いまみえ、文明や武力
の「衝突」が生まれた時、どちらが勝利し、支配するようになるかは歴然と
している。
南北アメリカだけでなく、アフリカ人達も南北インディオと同様に、白人世界
に支配されるようになった。
支配された原因は、単に文明や武力の差だけではなく、世界観や文化の
違いこそが、これまでの世界で、白人支配が続いて来た理由なのである。
そして、ユーラシアで唯一例外は、儒教文明を生み出した支那と支那民族、
その傍流たる朝鮮民族である。
彼等もまた、基本的に「性悪説」に立っており、ヨーロッパ人の考え方に
近い世界観を持っている。
さて、長々とインカ帝国の滅亡について書いたのは、無論、我が日本を
考えているからである。
本気だとしたらほとんど狂気か痴呆といってもいいだろう「友愛」という世界
観で、政治を行えると考えているのが、我が鳩山首相である。
アメリカも中国も、自国の国益の為なら、何だってやってのける国である。
それを認識出来ず、能天気に「友愛」や「東アジア共同体」を口にしている
のが、我が国の首相なのである。
見逃してはならないのは、この幼稚極まりない人物が、我が国の首相で
あるという恐るべき危険性である。
どうも、建前で言っていると思っていたら、鳩山首相は本気で「友愛」外交や
「友愛」政治を考えているらしい、やっとそれが世間にも明らかになってきて
いる。
しかし、鳩山さん以上に危険なのは、こんな小学生のような世界観の人物が
首相だという危険を容認している日本のマスコミの幼稚さと危険性である。
つまり、彼等は同じ穴のムジナということである。
マスコミは、揺らぎ続ける鳩山氏のことを批判するより、日本国の安全保障
が危機にさらされている本質を指摘し、一刻も早くこのような「危険人物」を
政界から排除すべきことを国民に知らせるべきなのである。
夢想や理想と目前にある現実が、異なるのは自明のことである。
高山正之さんが「世界は腹黒い」と述べていたが、少なくともその現実を
私たちは引き受けなくてはならない。
戦争は外交の延長線上の極端な形式であると言ったのは、クラウセヴィツ
だったと思うが、戦後教育の「成果」なのか、多くの日本国民が戦争と平和
を対立する概念のように考えている。
日本は平和で、国民は平和ボケしていると述べる人も多い。
平和ボケしているのは確かだが、日本が平和であるというのは幻想である。
冷戦時代、日本はアメリカと反共戦略で一致して、軍隊として実戦は戦わな
かったが、朝鮮戦争もベトナム戦争も、湾岸戦争も、金を出す形で、経済
戦略(ODA支援、米軍後方経済支援等)の下、アメリカと共に戦ってきたの
である。
日米安保条約を日米同盟と言うのは、軍事面の同盟だけでは無い。
経済面も、情報面も、「同盟国」として日本はあったのである。
民主党政権の「危険性」は、日米同盟を軍事面しか見ていないことである。
だからこそ、平時(戦闘が無い時間帯)も、実は嵐のような激烈な情報外交
戦や経済戦争が行われている自覚が無いのである。
砲火を交える戦闘、戦争行為は、ほとんど「結果」に過ぎないことが私たち
戦後の日本国民には理解されていない。
これはまことに憂慮すべき事態なのである。
よく、「陰謀論」だと言って、外交や対日工作のことを片づけようとする人々
がいる。
いや、片づけたがる人がいる。
戦後民主主義教育の弊害がここまで浸透しているのかという思いを強くする
のだが、存外、保守と自称する人々の中にも多い。
とにかく世界はユダヤがなんでも悪だくみし、仕切っているという「ユダヤ陰
謀論」は、極論として論外だが、しかし、世界のほとんどの外交戦略は、
それぞれの国益を賭けた武力を伴わぬ平和外交=陰謀、謀略外交に
よって行われていると言っても過言ではない。
少なくとも、中国や米国は日々それを戦略的に実行していると言っていい。
良い悪いなどという道徳的見方を超えて、現実世界はそれが当たり前なのだ
と考えるべきである。
例えばゴア元副大統領の世界に向けた「環境キャンペーン」は、完全にアメ
リカの原発エネルギー戦略への転換の宣伝担当役としてのキャンペーンだっ
たことは明らかである。
日本の馬鹿な左翼やリベラリストたちは、まんまとこれに騙されて、いまだ
環境、エコと騒ぎまくっている。
鳩山首相のCO2を25%削減するという暴挙宣言も、これに乗った形を取って
いる。
これを「陰謀論」として述べれば、フリーメーソンであると言われる鳩山氏が、
単に能天気なお馬鹿発言として、この削減案を宣言したのか、その背景は
本当にないのかと考えるのが、情報戦争の時代を生きる姿勢なのである。
少なくとも、この政策を首相に提言したり、賛同したりした人物や組織を一応
は疑い、調べるのは当然のことなのである。
中国や米国は必ずそれを行っている。
というのも、それが分かれば、この小学生のような首相を間接的にコントロ
ール出来る可能性がそこから生まれるからである。
人間は金や利権、圧制や弾圧、恐怖によって動かされる。
現実の世界を見れば、それは明らかである。
しかし、だからこそ、それをはねのける意志と祈りの心も持っている。
特に私たち日本人には、本来そういう道義と正義を求める資質があった。
早稲田大学の校歌に「現世を忘れぬ理想の光」という一節があるが、理想を
現実に合せてという「現実主義」の意味では無い。
汚濁した現実を見据えて、その中に飛び込み、もがき苦しみながらも、その
果てに微かに見えるだろう光を見据えよという意味である。
私はそう思っている。
「頑張れ日本!」運動は、そういった思いで出発した。
日本で最初の草の根(草莽)国民が動かそうとする草莽日本運動である。
こういう運動に対して、冷やかに、どうせ知識の無い大衆の盲動(運動)だと
片づけたがる人々がいる。
保守の中にもそういう人は結構多い。
これまでも理屈をあれこれ言う人たちは沢山いたし、確かに理論や理屈は
大変大事である。
しかし、理屈や理論は、時間をかけて学べば誰にでも獲得することが出来る。
こういう類の人たちは、人間が分かっていないのだろう。
知識や理論よりも大事なものは、人間の情であり、思いであり、意志であり、
心である。
「頑張れ日本!」運動で言えば、過去現在未来にわたる日本と日本人への
尊崇と誇りの思いである。
絶対に戦わなければならないと、どんなに理論や知識で分かっていても、
臆病者は必ず逃げ出し、今度は、逃げ出した自分を誤魔化す為に、遠く
から戦うことや戦う人々を非難し始める。
イソップ童話の酸っぱい葡萄の話そのものである。
私たちは人間であり、日本人である。
人間だから、これからも間違えたり、行き過ぎたり、試行錯誤を繰り返す
だろう。
しかし、日本人としての誇りと矜持は忘れたくないものである。
どこかに書いてあったと思うが、最も深く愛し、最もよく戦ったものが、最も
傷つき、最も絶望し、最も本物の希望を抱くことが出来ると……そうありたい
と思う。