【巻頭エッセイ】
「年末の御挨拶と御礼、そして……」
日本文化チャンネル桜代表 水島 総
本年も皆様におかれましては、胸を熱くするような激励と御支援をいただき
まして、まことにありがとうございました。
この一年は、民主党政権誕生に象徴されるように、私達の祖国日本が溶解
し、解体していく姿が、眼前に露出し始めた年でした。
以前にも、この欄でも書きましたが、私の座右の銘のひとつに、
「duruchhalten」(持ちこたえること)というドイツ語の言葉があります。
これは私の尊敬するドイツの作家トーマス・マンが座右の銘にしていた言葉
です。
ドイツ精神を最も体現している作家と言われるトーマス・マンは、第一次世界
大戦が勃発すると、英仏側とドイツとの戦いを英仏「文明」とドイツ「文化」の
戦いだとして、敢然と祖国ドイツの側に立って論陣を張りました。
その論文「非政治的人間の考察」(筑摩書房刊)は、三島由紀夫をはじめと
して多くの日本の作家に深い影響を与えました。
かく言う私もそうでした。
三島の「文化防衛論」を後で読んだ時、これはマンの焼き写しなのだという
印象を持ったものでした。
しかし、トーマス・マンは、第二次世界大戦において反ナチス文化人として、
祖国を追われ、スイスからアメリカへと亡命を余儀なくされました。
マンは自宅の書斎の壁に「私のいる場所にドイツはある」と書いて貼り、
毎日それを見つめていたそうです。
偉大なゲーテやベートーヴェンを生み出した古き良きドイツとドイツ文化が
危機に陥り、文化の「総退却戦」が続く中、トーマス・マンが作家として行った
のは、「持ちこたえ」、そして「自らがドイツであり、ドイツ人たる」事の覚悟で、
小説を書き続けることでした。
トーマス・マンは、ナチスドイツを生み出すドイツの状況を早くから予感してい
ました。
それは、ヨーロッパを二十世紀初頭まで支配してきた西欧近代主義の没落の
表れでもありました。
より大きな歴史の視点に立てば、ルネッサンスから始まった「人間中心主義」
と言われたヨーロッパ近代が、決してギリシャ文明の本物の復興なのではなく、
偽物の「文芸」復興であり、その結果として、既にヨーロッパ近代主義が行き
詰まり、終焉を迎えているという痛苦な認識でした。
二つの世界大戦の中で、滅びゆくヨーロッパ世界を小説を通して世界に告知
し、そして「持ちこたえ」「ドイツたること」が普遍的な人類と世界の再生へ続く
ことを、マンはいくつかの作品群によって表わしました。
その痛切な思いと思想的苦闘を小説にした名作が、「魔の山」「ヴェニスに死
す」「トニオ・クレーゲル」でした。
「魔の山」では、スイスの結核サナトリウムにおいて、主人公がヨーロッパの
あらゆる近代思想を体現する人々と出会いますが、ある日、世界大戦の勃発
によって、それらのヨーロッパ近代思想がことごとく破産し、吹き飛ばされるの
を知ります。
「魔の山」のラストは美しく悲しい場面です。
兵隊姿の主人公が、散兵戦の中を突撃していくのです。
爆弾や銃弾が炸裂する中、走り、転び、立ち上がり、また走り出す、そんな
主人公が突撃しながら何かを歌っていますが、それはシューベルトの
リンデンバウム(菩提樹)の歌でした。
泉に添いて 茂る菩提樹
慕いゆきては 美し夢見つ
幹には彫(え)りぬ 懐し言葉
嬉し悲しに 問いしその影
今日もよぎりぬ 暗き小夜中
真闇に立ちて 眼閉ずれば
枝はそよぎて 語るごとし
来よ いとし友 此処に幸(さち)あり
面をかすめて 吹く風寒く
笠は飛べども 捨てて急ぎぬ
遥か離りて たたずまえば
なおも聞こゆる 此処に幸あり
此処に幸あり
死の散兵戦の中で、倒れていく戦友の姿を横で感じながら、主人公は突撃を
続けます。
それはまさに溶解し始めた世界の中で、何としてでも生きよう、生き抜こうと
戦うドイツの姿、人類の姿でした。
「わたしたちはどこにいるのだろう?あれはなんだろう?
夢に運ばれてわたしはどこへ流れついたのだろう?」 (「魔の山」より)
「魔の山」最後の一文を紹介します。
「この世界的な死の祭典からも、雨にぬれた夕空を焼き焦がしている悪性
の熱病のような猛火からも、いつの日か愛が生まれてくるのだろうか?」
今の日本の状況について、私もこれに似た感覚を抱いています。
「魔の山」は二つの大戦の間に書かれた小説ですが、私達人間の精神的
危機は、いまだ全く解決していないのです。
私たち日本人もまた、今、それぞれの草莽が日本解体の散兵戦を戦ってい
るような気がします。
私達にとってのリンデンバウム(菩提樹)は、一体何でしょうか。
それは「日本」です。
日本の皇室であり、日本の伝統文化です。
映画「南京の真実」第一部の中で、能面をかぶった少年と少女が桜の大木
前で立ち止まり、振り返り、つぶやく台詞があります。
「(振り向き、遥か彼方を見て) ……夜が明けるの?」
「(首を振り) 黄昏……夜が来る……長い夜が来る」
そして、教誨師の男にも、七名の「A級戦犯」の処刑場前広場の真ん中で、
突然、立ち止まらせました。
風の吹きわたるなか、教誨師はつぶやきます。
「……日本が……消えた」
長い夜でも、必ずいつか夜明けは来る……。
日本は必ず復活する……。
ただ、私の生きている時代には来ないという気がします。
それでも、私達は日本解体の総退却戦のしんがりを務め、「持ちこたえる」
ことを続けるべきだという気がします。
特攻隊教官だった田形竹尾先生は、「なぜ特攻隊員達はあんなに静かに
微笑みながら出撃していったんですか」と問われ、一言、「皆さんを信じて
いたからです」と答えました。
特攻隊員達が、爽やかで明るく見えるほど、神々しく涼やかな眼差しで操縦
桿を握ったのは、天皇陛下の為、国の為、国民の為に死ぬ覚悟を持った
精神そのものが、後に引き継がれることを信じていたというのです。
田形先生は、特攻隊員達の気持ちは、子孫の為に植林をするおじいさんに
似ていると説明してくれました。
私達の祖先が、まだ見ぬ子孫の為に、何十年も前に山々に植林をして来た
ように、そして、その植林作業が何百年も続けられてきたように、私達は
特攻隊員達や遠い先祖の思いを引き継ぎ、未だ生れぬ子孫の為に「日本」
を植林し続けるべきだという意味です。
それが例え「死の散兵戦」であろうとも、私とチャンネル桜はそうありたいと
考えています。
日本草莽の皆様の手だけで支えられている日本文化チャンネル桜は、
来年も「日本」と「日本人」を主語とした日本唯一の草莽メディアとして、
日本解体を目指す反日勢力との情報戦争を戦い抜きます。
どうか、来年も倍旧の御指導御鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
良い年をお迎え下さい。
そして、ありがとうございました。
心より御礼を申し上げます。
降る雪や 明治は遠くなりにけり 草田男