【巻頭エッセイ】
「魂を感じ、信ずる人々」
日本文化チャンネル桜代表 水島 総
十月五日、台湾のパイワン族の皆さん四名と台湾人提訴者一名が日本を
訪れた。
NHKの番組「JAPANデビュー アジアの“一等国”」において、日英博覧会で
渡英し、民族舞踊や生活実演を披露したパイワン族が、見せ物の「人間動
物園」だったと番組内で放送したことへの抗議と集団提訴(パイワン人三十
七名)を行うためである。
一ヵ月半ほど前、台湾南部の地域は、台風に襲われて数百人以上死者の
出る大被害を受けた。
番組に出演したパイワン人の住むクスクス村(高士村)も、他の地域に比べ
れば被害は少なかったものの、未だ村を挙げての復旧作業の最中であった。
しかし、牡丹郷の高士村(クスクス村)のパイワン族の人々は、NHKによって
民族の誇りと名誉を汚されたとして、元郷長(日本で言えば郡長)の華阿財
氏を団長に、集団提訴団を東京に送り込んでくれたのである。
五日の夕方日本に到着して、翌六日に東京地裁に提訴し、メディアへの記
者会見に出席し、歓迎レセプションに出て、七日には台湾に帰国という過密
スケジュールだったが、忙しい合間に彼等が特に希望したのは靖國神社の
参拝だった。
訴訟団のメンバーの二人の叔父さんが高砂義勇隊として大東亜戦争に志
願し、ニューギニアとフィリピンで戦死していたのである。
六日の午後、彼等は靖國神社を訪れ、厳かに昇殿参拝を行った。
李登輝友の会事務局長の柚原さん、台湾研究フォーラム会長の永山さん、
チャンネル桜取材スタッフが同行した。
同行した日本人たちが感動したのは、パイワン族の皆さんの立派で誇りに
満ちた態度と姿勢だった。
昇殿参拝を終え、境内に戻って来た彼等の顔は、清々しさに溢れ、女性の
一人包聖嬌さん(国立嘉義大学助理講師)は、目に涙をいっぱい浮かべて
大鳥居の前で立ち止まり、拝殿の方を振り返り、深々と頭を下げた。
そして何度も何度も手を振って、台湾英霊に別れを告げたのである。
もう一人の女性洪金蓮さんも、
「靖國神社に参拝して、深く感動しました。靖國神社にいる私達の祖先が、
私に言いました。日本で私達はとても大事にされている、だから安心する
ように、パイワン族の人々に伝えてくれと……私は皆にそれを伝えます」
永山さんも柚原さんも、異口同音に述べていたが、パイワン族の人々は心
が清らかで、直観的にその場所に行けば、魂の存在を感ずることが出来る
のである。
だから、靖國神社を訪れたとき、彼等はすぐに二百数十万柱の英霊の存
在を感ずることが出来た。
彼等には英霊は、実在なのである。
唯物論的な薄っぺらな科学合理主義や現世主義に染まってしまった戦後
日本人には、実はこのことがなかなか理解しにくい「現実」である。
「魂の存在」や「英霊」を自らの心身を持って感受し、真の「現実」「実在」と
して受け入れることが、果たして戦後日本人には出来るのだろうか。
小林秀雄は、「信ずることと知ること」の中で、ベルグソンの聞いた心霊体
験の話を紹介している。
第一次世界大戦中、出征した夫を待つ夫人が、睡眠中に夢を見て、夫が
撃たれて塹壕内に倒れ、多くの兵士が覗きこむ様子を鮮明に見たのだが、
実際、その時、夫は夢の通りに戦死して、周りを兵士が取り囲んでいたと
いう体験談である。
同席した医者は、「そういう話はよく聞くが、間違った話はそれ以上に数多
くある」と述べる。
ベルグソンはそれを批判して、夫人の体験の具体性をあるがままに受け
取らないで、果たして夫は死んだのか、死ななかったのかという抽象的問
題に置き換えてしまう、これが根本的間違いだと指摘している
小林は同じ文章の中で、柳田国男氏の心霊実体験や「遠野物語」におけ
る近代知性ではとても説明しきれないエピソード等を繰り返し紹介し、戦後
の科学合理主義や唯物論的知性を批判している。
いや、批判と言うよりそれでは全然駄目なんだと強く言っている。
同じく江藤淳は、小林秀雄の「考えるヒント3」の解説で、乃木将軍の夫人
が息子二人が日露戦争で戦死したとき、家にあった古い箪笥の取っ手が
カタカタ揺れたというエピソードを紹介し、
「四十年になんなんとする小林氏の歩みが、他ならぬ冷たい計量的知性と
の格闘であったことを知るに違いない。それはとりもなおさず、現代人が
果して人間らしく生き得るか、という問いに対する身を挺しての実践である」
と述べている。
靖國神社を訪れたパイワン族の人々の態度や表情は、私達戦後日本人
に欠けているものを見事に教えてくれたような気がする。
彼等は先祖の魂と英霊を「実在」として、先祖と今も共に生きて暮らしている
のである。
これが彼等の現実であり、かつての私達日本人の「現実」でもあったのだ。
また、彼等は山岳民族として、山々に囲まれた大自然の中の「空間」で暮ら
しているだけではなく、大自然の「時間」の中でも生きている。
自然を単なる美しく荒々しい「空間」として見ているだけではなく、自分の「い
のち」も融合した大きな「時間」の世界としても見ているのである。
戦後日本人に欠落し、失われ、忘れられたのは、大自然の雄大な空間だけ
ではなく、大自然の悠久の時間である。
戦後保守は、つまらぬ衒学的なイデオロギー論争に明け暮れて、近代知性
のみみっちい世界にはまりこみ、日本人が本来持っている大らかで深い
「魂」を失ってしまった。
日本の伝統や文化は、戦後日本における計量的知性などでは論じきれない、
日本人と日本の大自然の空間と時間が醸成して来た広大で深遠な世界で
ある。
これを心身で感受し、畏れの心を持てたとき、人間と自然の融合したパイ
ワン族の魂や私達日本人の英霊や祖霊に対して、直接的に感応出来る素
地が生まれる。
「それはとりもなおさず、現代人が果して人間らしく生き得るか、という問い
に対する」答えでもある。
この世界観は、日本が「八紘一宇」の世界観として、ある意味で人類全体に
普遍化できるものであり、文化発信出来る可能性のあるものである。
ともあれ、秋の短い数日間、パイワン族の皆さんの美しい涙と笑顔に教えら
れたものは多く、胸にしみわたるような「アジア古モンゴロイド」同士の共感
の共有だった。
昨夜、台湾の支援者の方と電話で話したが、パイワン族訴訟団の代表の
華阿財先生から電話があって、靖國神社に昇殿参拝出来たことが最も印象
深く、感動したこと、日本のチャンネル桜をはじめ、多くの日本人支援者の
人たちに接し、日本人としての誇りと優しさが、現代日本にまだ残っていると
いうことも再認識し、感動したことを話してくれたそうである。
何より嬉しい話である。
さて、ここで改めて、日本保守の星だったが、志半ばで夭折された
中川昭一氏の御冥福を心よりお祈り申し上げたい。 合掌
菊の香や 灯もるる観世音 高野素十