【巻頭エッセイ】

「秋ふかき 隣はなにを……」

                   日本文化チャンネル桜代表 水島 総

特攻隊教官だった名パイロット故田形竹尾先生は、チャンネル桜の創立発
起人のひとりだったが、生前、敗戦後の日本の知識人たちの「転向」につい
て語ってくれたことがあった。

戦前は鍋山貞親、佐野守等の共産党員の大量転向があり、戦後は愛国
文化人たちの左翼転向が起き、花田清輝や吉本隆明らによる「転向」論争
があった。

人は、一体、なぜ自分の思想や信条を変えるのか。

この問題は、戦後日本の在り方の「転向」を目指す私にとって、興味深い
問題だった。

というのも、今回の衆院選挙の結果と民主党政権交代で明らかになった
のは、自由民主党がもはや立党宣言のような保守政党では全くなく、民主
党と同じ穴のムジナに過ぎない戦後民主主義政党だったことであり、世界
最古の国日本の歴史と伝統文化を保持し、その誇りと名誉を復興させよう
とする保守勢力は、今や恐ろしいほど少数派であり、孤立した存在なのだ
という、厳然とした事実だった。

私は以前、安倍内閣誕生は、戦後日本の「夜明け」ではなく、黄昏であり、
夜が来る前の夕日の沈む「最後の光芒」なのだと述べて来た。
映画「南京の真実」第一部でも、七人の「A級戦犯」処刑から始まる戦後
日本は、「夜明け」が来るのではなく、「長い夜が来る」始まりなのだとセリ
フの中で言わせた。

しかし、安倍内閣誕生で浮かれ騒ぐ戦後保守は、私の指摘や危惧を一顧
だにせず、すぐに憲法改正だ、戦後レジームの脱却だと無責任な言いた
い放題を続けていた。
そして、安倍内閣が倒れても、では次は麻生だ、中川だ、平沼だと、能天気
に「保守祭り」騒ぎを続けて来たのである。

今更ではあるが、私たちは、今回の衆院選挙結果から、安倍内閣がいかに
脆弱な基盤の上に成立していたかの現実を、痛苦な思いと共に自覚すべき
だろう。

今回明らかになった「伝統保守」の孤立という厳しい現実から、私たちは一
時言われた「戦後レジームからの脱却」をもう一度、最初から考えていかね
ばならない。

田形先生は、映画「明治天皇と日露大戦争」の渡辺邦男監督と親交があり、
敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から呼び出しを受けた映画
監督たちの様子を聞いたらしい。
戦前、戦中時代の日本では、ほとんどの映画監督が動員され、国策映画を
製作していた。
ちょっと驚くことだが、GHQの尋問に対して、黒澤明監督をはじめほぼ全員
の映画監督が、軍部や政府の圧力で、心ならずも「国策愛国映画」を監督
したと答えたそうである。

確かに、昔から映画監督にはリベラル思想の持ち主が多い。
現在でも七百人以上いる日本映画監督協会に所属する監督のほとんどが、
左翼リベラル思想の持ち主である。
理事長が崔陽一氏と聞けば納得いただけると思う。
保守系思想の持ち主など私も含めて十人もいないだろう。

さて、渡辺監督も国策映画を作っていたが、GHQ当局の尋問に対して
「私は日本人であり、私の職業は映画監督である。貴殿がアメリカ軍人として
祖国のために、この戦争を戦ったように、私も映画監督として祖国のために
戦ったのだ」と答えたそうである。
すると尋問をしていた米軍中佐が立ち上がり、両手で渡辺監督の手を握り、
「私は初めて日本のサムライに会うことが出来た」と、感激した面持ちで述べ
たという。

知識人たちの「転向」論争の中で、明らかにされてきたのは、転向が国家権
力の弾圧や抑圧によるものではなかったということだ。

人の心をそう簡単に暴力や脅しで変えることは出来ない。
むしろ、その当時の日本社会は「戦時共産主義」と言ってもいい配給制等に
よる平等の実現や大東亜聖戦への高い理想等によって、「天皇制平等社会」
が実現し、国家転覆を謀って来た共産主義者たちは、大衆から全く孤立した
から、つまり「社会的孤立」と「歴史的孤立」を痛感したことが、共産党員たち
の大量転向を生んだと言えるのである。

弾圧や抑圧によるものではなく、「寂しくてたまらなくなった」から、共産主義者
たちは「日本」に帰ったのである。
だから、かつて日本共産党が「獄中四十年非転向反戦を貫いた宮本委員長」
などと喧伝したのはお笑い草であり、彼等の人間理解の浅薄さを示す証拠と
なるものである。

人はなぜ思想や信条を変えるのか。
人は抑圧や暴力、脅迫では、簡単に心の在り方を変えない。
人は社会や時代から孤立すると、心を変貌させる。
人は孤独に陥ると、それまでの人生や世界観を変える。
人は時間や空間の中で孤立すると、自らの命を絶つこともある。
人は「寂しくて」人生を変え、「寂しくて」人生を断つことも決意する。
人の「転向」は、孤立から始まる。

日本の中高年が、毎年、三万人以上自殺している。
飢えることも、政治的、暴力的抑圧もない戦後日本で、三万人以上の中高
年が、自ら命を絶っている。

いじめを受けて多くの子供たちが命を絶っている。
いじめの暴力を受けて、痛いから、脅かされるから、死を選んだのか。
そうではあるまい。

そういう子供たちは、「淋しかったから」死を選んだのではないか。
父や母や教師や同級生から孤立して、淋しくて、淋しくて、たまらなかったか
ら、自らの短い人生に終止符を打ったのではなかったのか。

中高年の男たちは、ここまで生きて来て、結局、恐ろしいほど「ひとりぼっち」
の人生だったと気付いたのではなかったか。
自分が、会社にも、家族にも、社会にも、本質的に何の深い関係を持たず、
持てないまま、全ての関係から「孤立」していたことに気づいたのではなかっ
たか。

夏目漱石の小説「こころ」の中で、恋人争いから主人公の「私」に裏切られ、
自殺を遂げる友人Kは、親友の裏切りではなく、恐ろしいほど孤独で寂しか
ったから自殺したと示唆される。

しかし、ここで私が指摘しておきたいのは、果たしてKの孤独が愛する女性、
親友から裏切られたから「孤独」で寂しかっただけではなかったという点で
ある。
Kは友人や共同体から孤立していただけではなく、時間からも孤立していた。
Kは近代主義者として、過去の歴史的時間からも断絶し、孤立していたので
ある。
つまり、現在生きている空間的共同体や関係からの孤立だけではなく、Kと
言う人物は、時間的に過去や未来と断絶した近代的自我として「孤立」して
いたのである。

時間と空間からの恐ろしいまでの孤立が、人の人生を変え、時には自殺ま
で追い込む。
現代日本の中高年の自殺も、Kの死と同様、自分が自由で独立的存在であ
り、自分らしさを求めて自分の人生を自分で決める、そんな近代主義的自我
として生きてきた結果、社会的、家庭的孤立だけではなく、時間的、歴史的
な過去と未来との断絶によって、極限の孤独地獄に陥った結果ではなかろ
うか。

西行や若山牧水等、日本には孤独を愛し、旅を愛した人々は数多い。
なぜ、彼等は「孤独」を耐え、むしろ孤独を好むことが出来たのか。

答えは一つである。
彼等は過去と現在、未来と連なる時間(歴史)からは孤立していなかったので
ある。
その時間を身体で感じさせ、見聞き出来るものが日本の自然、花鳥風月だっ
た。

戦後日本人が失ったものは時間である。
歴史的断絶と近代的自我からは、物質文明と寂しい自己疎外感情しか生ま
れない。

日本はそういう国では無い。
私達は二千年以上続く「皇統」に、私達のアイデンティティーが、「時間」にある
ことを見る。
桜の花を見るとき、私達は芽生え、咲き、散り、再び甦る命の営みの「時間」を
見る。

「秋深き隣はなにをするひとぞ」
芭蕉の有名な句だが、最も日本的時間と空間の文化が芸術としてあらわされ
た言葉である。

過去、現在、未来と続く悠久の時の流れの中に、私達日本人の「いのち」の
在り方を考え、私達の「祖国」を思う、そのような再出発を考えたいものである。

「伝統保守」としての私達の再出発は、そこから始まる。

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