【巻頭エッセイ】

「米の味、水の味」

                   日本文化チャンネル桜代表 水島 総

北大路魯山人だったと思うが、「食」の究極の味は、限りなく水に近い味だと
どこかの随筆に書いていた。
水に近い味と言われても、読んだ当時は元気な盛りで、カツ丼大盛りを
ガシガシ食べて、美味い、食ったぞ、満足、といった風で、年寄の美食家の
思い込みだろう程度に片づけていた。

もう一人の美食家で作家の獅子文六は、究極の味として冷えた米飯の
水漬けを挙げていた。
獅子曰く、米の味は熱い炊き立て御飯ではわからない、冷えた米飯の味こそ
米の美味さが味わえる、冷や飯に清冽な井戸水を注ぎ、本当に美味い
数切れの沢庵漬けと共にいただく、この味が最高だと言うのである。

これは確かに美味そうだとそそられ、試してみた。
当時、最高だと言われた新潟の魚沼産こしひかりを「六甲のおいしい水」で
炊き、飯が完全に冷えた後、近くの漬物専門店で最高の沢庵漬けを買い、
「六甲のおいしい水」を冷やして、冷や飯に注ぎ、食べてみた。

確かに美味い。
米の本来の味が旨さとして、しっかり味わえるのである。
沢庵漬けの発酵食品の旨味と塩味も、米の味を実に良く引き立てる。
これはいい、と思ったとき、魯山人が究極の味として述べた「水の味」の
意味が、おぼろげながらわかったような気がした。

暑い季節の中、読者にはぜひお試しいただきたい。
食欲のない時には絶好の「夏の味」である。
しかし、私はここで「美食エッセイ」を書きたいと思ったわけではない。

究極の味だという「水の味」とは、何処かで日本の皇室の在り方に構造的に
つながっているようだと気づいたのである。
米と水が日本の食文化の中心であるように、皇室は究極の日本の中心で
あり、日本の水や空気の如く、無くてはならない日本の伝統や文化の土台
を為す存在なのである。

グルメブームがそうだったが、あっちが美味い、こっちが美味しいと、あれ
これ国民がはしゃいで騒ぎ立てる事柄ではない。
今回の選挙で自民だ民主だとあれこれ言っているのは、こっちは、腐りかけ
カツ丼だ、いや、あちらは似非すき焼きだと浅ましい食欲に駆り立てられ、
メディアと政治家と一部国民が騒いでいるようなもので、脱力感に近い
虚しさを感ずるのである。
最近「粗食」の勧めとかスローフードの勧めとかがもてはやされているようだ
が、まさに私たちは食生活の面だけでなく、戦後日本の在り方、戦後日本人
の生き方そのものも、じっくり考え直す時期が来ているのだと思う。

東條英機大将は、A級戦犯として処刑される直前の遺書で
「天皇陛下の御地位及び陛下の御存在は動かすべからざるものである。
 天皇存在の形式に就いては、敢えて云わぬ。存在そのものが必要なので
 ある。それにつき、かれこれ言葉を差し挟む者があるが、これらは空気や
 地面の有り難さを知らぬと同様のものである。」
と述べている。
私も全く同じ考えである。

冷たい水漬けを食したとき、歯に沁みとおって来るような水と繊細で優しい
米の味を、私は本気で「ありがたい」と感じた。
心が震えたようにも思えた。
「よくぞ日本に生れけり」という言葉があるが、文字通り、それを感じた瞬間
だった。

先週、「日本」が「ニッポン」に変わってゆく危機について書いたが、私達の
暮らしの様々な場所で「日本」はあり、息づいている。
祖先の伝承のおかげである。

西行法師は、伊勢神宮に参拝したとき、
「なにごとの おわしますかはしらねども かたじけなさに なみだこぼるる」
と歌った。

天皇陛下と皇室はまさにそんな存在なのである。

さて、皇室の存在について書いた後で、NHK抗議運動について書くのは
心苦しいが、七月二十二日、NHKは日本文化チャンネル桜に対して抗議書
なるものを送って来た。

特に問題なのは、「貴殿が代表取締役を務めている株式会社日本文化チャ
ンネル桜は、NHKスペシャル『シリーズ・JAPANデビュー 第1回 アジアの
“一等国”』について事実と異なる内容を繰り返し伝えており、誠に遺憾です。」
と書き、各マスメディアに対する定例記者会見でもホームページでも発表して
いることである。

「事実と異なる内容を繰り返し伝えており」とは、全く「事実に反する」「事実
無根」の誹謗中傷であり、日本文化チャンネル桜の名誉毀損と信用毀損で
ある。
私たちチャンネル桜では、NHKに対し、謝罪と訂正を求める内容証明書を
来週頭には送付し、それが実行されぬ場合は、NHKに対する法的処置と
提訴をするつもりである。

今回の「JAPANデビュー」は、NHKが一方的に間違っていないと強弁して
来たが、裁判という土俵で「事実」を議論できることは大変素晴らしいことで
ある。
その点、NHKの今回の行為は、私たちに「正邪」を明らかに出来る絶好の
機会を与えてくれたのである。

私たちが正しい道を歩む限り、神の御加護は必ずある、そう確信出来た
今回の出来事だった。                    

ここまで書いて、ふと、明日日曜日の昼食は、冷奴と梅干し入りのつゆで
素麺にしようと思った。
日本の夏である。
夜明けの朝の夏風、陽が落ち暗くなった夏の夜の人恋しさ、
日本はまことに素晴らしい。


  さうめんの 淡き昼餉や街の音    草間時彦

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