【巻頭エッセイ】

「この広い野原いっぱいの顎を引いた女たち」

                   日本文化チャンネル桜代表 水島 総

このメルマガが配信される日は、NHKの番組「NHKスペシャル『JAPANデビュー』」
の偏向、やらせ取材、意識操作編集に対するNHK包囲抗議デモが行われる。
日本の危機を感じて、どれだけ多くの人が集まってくれるか期待している。

番組でもお話しているが、この運動は単なるNHKの偏向に抗議するといった運動
ではなく、日本に対する文化侵略を阻止する激烈な情報戦争であり、その正面戦
なのである。
ここで、私達が敗れることがあれば、この番組が一種の政治的ガイドラインになり、
民放も一斉に右に倣えするだろう。
 
NHKの「JAPANデビュー」は、中国中央宣伝部の対日工作を体現したものであり、
NHKという「国営放送」への外国謀略工作の浸透が、もはや完成段階にあること
を示す恐るべき典型例なのである。

それにしても、日本人が善良で、他者を疑うより、信じたいと願う傾向を持つのは、
自分に照らして考えてみてもよく理解できる。
しかし、歴史が始まって以来、常に弱肉強食の世界にさらされてきた支那人は、
根本的に私達とは世界観が異なる。
これは差別でも、イデオロギーでも無く、良い悪いの問題でも無い、現実にある冷
徹な事実なのである。

ずいぶん昔だが、フォークソングに「この広い野原いっぱい」という森山良子の歌
があった。
若い頃の森山良子は、日本のジョーン・バエズと言われた美声の持ち主だった。
その美声で「♪この広い野原いっぱい咲く花を ひとつ残らずあなたにあげる 赤い
リボンの花束にして」「この広い夜空いっぱい咲く星を ひとつ残らずあなたにあげ
る 虹に輝くガラスに詰めて」と歌うのである。
ともかく大好きな人に、何でもかでもあげたい、と歌うのである。
挙句が「この広い世界中の何もかも ひとつ残らずあなたにあげる だから私に手
紙を書いて 手紙を書いて」と歌うのである。

「歌うのである」と繰り返し書いたが、皆さんはこの「善意の塊」のような歌をどう思
われるだろうか。
実は、私は呆れて、ううむ…と感心してしまったのである。
まだ二十歳にならぬ頃のことだった。
つまり、私はこの歌が結構好きなのだ。
いや、かなり好きだと言っても良い。
日頃、クラシックとジャズが好きですと言明しており、それは本当なのだが、こうい
う「軟弱ソング?」も好きなのである。

理屈を言えば、世界中のモノ(物質)はみんなあげるから、「手紙を書いて」(心を
ください)と言うのである。
それも、全部くれといわず、手紙を書いてと、ささやかな優しさをくださいと言って
いるのだ。
何と謙虚で美しく、泣かせる日本女性の言葉ではないか。
こんな女は、ぜったい世の中にはいねえよと、少年の頃はひねくれまくってそう考
えていた。
しかし、今は違う。
日本の古典文学を少しかじって齢を重ねた結果なのか、こういう女性たちの存在
を私は信じることが出来る。
いや、確信している。

無味乾燥な政治的イデオロギーとして考えれば、こういう歌は、「非武装中立、反
戦平和、憲法護れ」へと、ごろりと行きそうな歌詞に思われそうだが、そこが私達
の国の日本文化の懐の深さだと言いたいのである。

見方を変えると、この歌は単なる感傷的な願望では無い。
極めて日本人的な遠く大きな憧れと、絶望的な現実を見据えた上での「決意」を
詠っている。
その決意から紡ぎ出された優しい憧れなのだとも言える。(多分、私がそう思いた
いのだろう)

しかし、少し目を潤ませながら、真っ直ぐ前を向き、顎を引いて、決して悲惨な現実
から目をそらさぬ、健気で優しい、憧れを失わぬ、美しい、女性の横顔が見えてくる
ような気がする。(確かに、これも願望である、ずいぶん女性にいろいろな形容詞を
くっ付けてしまった)
「たおやめぶり」という日本女性の特質を表すと言われる美しい言葉も、私にはそ
んなイメージなのだ。

しかし、それは単なる願望や憧れにとどまらない。
思い続ければ、必ず実現する。
願い続ければ必ず現実化する。
真剣に、全てを賭けて、必死で願い、本気で実行すれば必ず実現する。

私自身、ほとんど信仰のようにそう考え、確信している。

というのも、腐敗堕落した絶望的な戦後日本だが、こんな世の中でも、キラリキラリ
と輝いている人間がいるからだ。
それは男たちではなく、日本の女性たちである。
一昨年亡くなられた田形竹尾先生は、「日本には女は沢山いますが、母親がいま
せん」とおっしゃっていた。
「先生、最近、そうでも無くなって来たようですよ」と、御墓の前でお話し申し上げた
いと、最近思っている。

取りとめのない話になってしまった。
しかし、これを書いたのは、先週のメルマガで書いた台湾の老人たちを何度も思
い出すからである。

国民党政権に代わり、日々、圧迫が加わる言語空間の中、そして、一党独裁の国
が自分たちの祖国を併合しようとする危機の中、台湾の老人たちは、男女とも、
悲惨な現実に絶望せず、顎を真っ直ぐ引き、それを見据え、自分たちの歴史的運
命に耐えながら、堂々と自らの信念を貫いている。
その気概と勇気、そして他者(私達日本人)に対する優しさが、私には忘れられない。
おそらく過去の日本人の姿はかくばかりであったろうと思うのだ。

戦後日本に何度も裏切られながら、それでも、(かつての)日本に大らかな愛着を
抱き続けてくれる彼らの姿や言葉を思うと、あの歌詞を思い出す。
「♪この広い世界中の何もかも ひとつ残らずあなたにあげる
  だから私に手紙を書いて」

台湾取材の数多くの感動的なインタビューを一つだけ紹介しておく。

「そして、今言ったNHKの放送です。ま、単刀直入に言いますと、あの番組を担当
 した人は、けしからんですよ。あれ、卑怯者だ。恐らく支那人のスパイだと思う。
 もしそれが台湾であった場合ですね、或いは、焼き討ちを免れないと思います。
 我々はそれほどに怒っています。だから、我々はこのインタビューを通じて、要求
 します。NHKの責任者は日本国民に謝るべきです。台湾人の一部、インタビュー
 者を騙して、で、その言うべきところを言わずに、彼らが好むところだけを選んで、
 曲解している。これほど、人を馬鹿にした、そして自尊心をもたない人がいます
 かと言うんだ。あの人には…彼個人には、自尊心があるかって聞きたいです。
 引き出してください、公の前に、誰がこれをやったか。僕が言いたいのはこれだけ
 です」
(「友愛会」メンバー 郭振純氏)

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