【巻頭エッセイ】

「雨ニモマケズ」

                   日本文化チャンネル桜代表 水島 総

花冷えの中、靖国神社の桜も、間もなく満開を迎える。
古の人々は、桜の開花と共に、春の訪れを喜びながら、同時に、桜の花の
美を嘆賞しつつ、形や色の美しさだけでなく、桜が持つ「時」のはかなさ、
もののあはれを感じていた。
現在まで続いている「花見」の風習は、桜の美しさやその風景という「事物」
や「空間」を愛でるだけでなく、その中に人と世の「時間」や「生」と「死」を
見ていたのである。
ここが戦後日本の花見と異なる点だろう。

私の好きな西行の桜の歌に次のような歌がある。


  葉隠に散りとどまれる花のみぞ しのびし人にあふここちする   西行


また、いつも講演などで紹介する特攻隊員の遺句も桜を詠っている。


  畦の花 召しいだされて桜かな


日本という世界最古の国は、万葉集を見ればわかるように、天皇、皇族を
はじめとして、下々の草莽まで、歌を作り、詠う「詩人」民族であった。
つまり、日本民族全体が、何につけ、和歌をはじめとする短詩形式の歌を
作り、そして詠う、詩人の民族であったのだ。

嬉しいこと、悲しいこと、さびしいこと、苦しいこと、辛いこと、人が生きていく
中で必ず起きてくるこれらのことを、私たち日本人はいつも、和歌や俳句等
に託して詠ってきた。
それは、今、現前する出来事が単なる空間的な出来事ではなく、無限の長
い時間と無数の要素によって生成した出来事として、「もののあはれ」を詠
ったのである。

「うたふこと」は、即それぞれの「いのち」につながっており、私たち日本人に
とって、理屈や理論で相手をやり込めることより、「うたひ」「共感しあふ」こと
こそ、大事なものとされて来た。
主張される「理屈」に、「ひとのなさけ」があってのことか、つまり「情理」が重
要視されて来たのである。

私たち日本人は、いのちのはかなさを最もよく知る民族であると同時に、
最もいのちの輝きと尊さを知る民族だった。
だからこそ、大東亜戦争の時、特攻隊員達は粛々と出撃出来たのである。

元特攻隊教官だった故田形竹尾先生が、自分の教え子の少年特攻隊員が、
特攻出撃前日、挨拶に来た時のエピソードを話してくれたことがある。

少年特攻隊員は敬礼して、
「教官殿、明日、出撃します。いろいろお世話になりました。
これを見てください」と言って、笑顔で口を開け、自分の歯を見せた。
きれいに並んだ白い歯に混じり、真新しい金歯が被せられた歯がいくつか
見えた。

現代の日本人は、どうせ明日、特攻によって、間違いなく死を迎えるのだか
ら、なぜ歯を治すのかと考えるかもしれない。
しかし、特攻教官であり、自らも特攻命令を受けた田形先生には、痛いほど
少年特攻隊員の心情が分かった。
「この少年特攻兵の心が分からなければ、特攻の心はわかりません、
 私は感動して何も言えなくなりました」

涙を溢れさせた田形教官に、少年特攻隊員は、
「教官、笑って送ってください。あとをお願いします。ありがとうございました」
そう言って、輝くような笑顔で敬礼したそうである。

草莽の日本人が胸に抱いていた「いのちの美学」とも言うべき真髄を見事に
示した話である。
私はその話をしている田形先生の顔を思い出す。
目の前に、今もその少年特攻隊員がいるような表情だった。

特攻攻撃は、突入時に歯を食いしばり、最高度の緊張の中で敵の軍艦に
体当たりをする。
その為にも、歯はすべて治療しておいた方が良いのはもちろんである。

しかし、それだけではない。
そこには、特攻隊員達が、短くとも、力一杯生きることと、命の輝きをいかに
大事に思っていたかを示しているのである。
最高な健康状態で、最高の澄み切った精神で、祖国のために、桜花のよう
に美しく、必然の最後の時を迎える。
特攻隊員達に代表されるかつての日本人が、長い短いにかかわらず、
「いのち」の時間をいかに、輝く美しいものとして大事に考えていたかが、
痛切に感じられるのである。

桜の花に、自分たちの命を例えるのはそこから来ているのだ。

戦後の日本人が感じている「いのちの時間」と根本的に異なる時間を彼らは
生きていたのである。
ただ、楽しく長く生きるだけの時間だけが、豊かないのちの時間ではないこと
を、彼らは知っていた。
かつての日本人は、無数の美しい桜の花びらを見たとき、無数の命の存在
とその歓喜、そしてそれと一体となった哀しみと無常の時間を見ていたので
ある。

私達もまた、靖国神社の桜を見るとき、無数の英霊の命と過去の先祖の命、
そして世界最古の日本民族の「時間」を見るのである。

厳しい寒さを過ごした後、開花し、満開となり、花吹雪の如く散り、若葉を皐月
の風に揺らせ、夏の強い日差しに輝き、人々に緑陰を提供し、やがて穏やか
な秋を迎え、葉を散らせながら、寒い冬を迎える桜の木々。
桜は厳しい寒さがあって、あのような見事な花を咲かすそうである。

桜を見ていると、なぜか思い出す詩がある。
宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩である。

五年前に亡くなった父が、よく喧嘩をした少年の私に教えたことがある。

「絶対に自分から手を出すな。しかし、やられたら二倍にして返してやれ。
 女の子と小さな子には絶対に手を上げるな。たぶん、これからも、お前より
 強い奴は世の中にたくさんいるだろう。勝たなくてもいい。
 しかし、絶対に負けるな。
 参ったをしたり、泣きだしたりしなければ、それでいいんだ」

三つ子の魂百までもというが、私は今日までそれを実行して来たような気が
する。

実は、私の自宅机の前の壁には、以前、花巻に出掛けたとき購入した宮澤
賢治の「雨ニモマケズ」の詩の自筆コピーが貼られている。
「勝たなくていい、負けなければ」という父の言葉と、「マケズ」と繰り返される
賢治の言葉は、父の言葉ともつながっているのだと思う。
 

 雨ニモマケズ         宮澤賢治

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
 小サナ萓ブキ小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒドリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ

 南無無辺行菩薩
 南無上行菩薩
 南無多宝如来
 南無妙法蓮華経
 南無釈迦牟尼仏
 南無浄行菩薩
 南無安立行菩薩


一般には、詩の終わりにある南無から始まる仏教の祈りはカットされている
ことが多いが、賢治はこの生涯最後の詩の終わりに、法華の行者としての
「祈り」も書いている。

この詩は、あまりにも有名な詩であるが、本当に文脈の「理解」ではなく、
心と魂で「共感」出来ている現代日本人は少ないかもしれない。

靖国神社の英霊の心も、西郷南洲翁の心も、そして過去に生きられた日本
草莽の心も、このような詩が伝える心と同じものであり、現在を生きている
私達日本草莽の心だと、私は常に考えて来た。
毎日、机の前に座るとき、私はこの詩を暫し眺めてから、パソコンのスイッチ
を入れるのである。


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